仏像は大岡寺に戻っていなかった
2021年10月、私は、裁判で、その所有権が争われた2体の仏像の尊容に接していた。ガラスケースの中では、42本の手のうちの2本を胸の前で合わせた千手観音立像と、特有の「来迎印」を結んだ阿弥陀如来立像が、ともに柔和な表情を浮かべ、金屏風の前に並んで立っていた。
だが、ここは大岡寺ではない。同寺のある滋賀県甲賀市から直線距離にして約260km離れた、静岡県熱海市にある私設美術館だ。
なぜ、2体の仏像は大岡寺ではなく、熱海の美術館に置かれているのか。
私の手元に、文化庁への情報公開請求で入手した2つの書類がある。先述の通り、重要文化財は、所有者が変更された場合、必要書類を添え、文化庁に届け出をださなければならないと定められている。
1つ目は、この私設美術館を運営する、東京都千代田区の財団に所有者が変更されたことを示す書類である。「変更の年月日」は2021年3月5日。「変更の事由」は〈売買〉とある。では、この財団に2体の仏像を売却したのは誰か――。それを示す「旧所有者の氏名又は名称」にはこうある。〈宗教法人安楽寺〉。
これは一体どういうことなのか。その謎を解く鍵が、もう1つの書類にある。
こちらもまた、2体の仏像の所有者変更を届け出た書類である。「変更の年月日」は〈2019(平成31)年1月15日〉。大津地裁の判決から約1年後のことだ。そこには、大岡寺から安楽寺へ、仏像が〈無償譲渡〉されたと明記されている。
盗難事件の摩訶不思議な“その後”を追う
話を整理しよう。滋賀県の大岡寺と東京都の安楽寺は、2体の仏像の所有権を巡り、法廷で争っていた。もともと仏像を所有していた大岡寺は「いま安楽寺にある仏像は盗まれたものだ」と主張。裁判ではそれが認められ、安楽寺に対し「仏像を引き渡せ」との判決が下された。
だが、そのわずか1年後、大岡寺は“盗んだ側”である安楽寺に、2体の仏像をなぜか無償譲渡した。そして、裁判で負けたにもかかわらず、タダで仏像を手に入れた安楽寺は、今度はその2年後、第三者に仏像を売却。そして現在、彷徨い続けた2体の仏像は、熱海の私設美術館に展示されている――ということのようなのだ。
一度はハッピーエンドで幕を下ろしたかに見えた、2体の仏像を巡る盗難事件。私は、この摩訶不思議ともいえる“その後の足跡”を丹念に追ってみた。
なぜ大岡寺は裁判で勝ったにもかかわらず、安楽寺に仏像を〈無償譲渡〉したのか。そして、安楽寺はなぜ、無償譲渡で手に入れた仏像を、第三者に売却したのか。すると、天台宗の総本山、比叡山延暦寺を震撼させるスキャンダルが明らかになったのである。