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「あんまり目立つ子じゃなかったですねえ。お兄さんの方が目立っていた」大谷翔平も通った“国宝級の輝きを放つ”バッティングセンターの歴史

『日本バッティングセンター考』より #1

2022/03/24
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大谷翔平も常連だった

「大谷翔平もここに来ていたんですよ。出身が(奥州市の隣の)水沢市なんですよね、高校は花巻東に行ったけど、中学の時までよく来ていました。その頃に通っていた子ども達の中では、あんまり目立つ子じゃなかったですねえ。その時はお兄さんの方が目立っていた気がします。本人の素質もあるんだろうけど、日本ハムに入ってからの栗山監督の指導が良かったんだろうなあ」

 地元の英雄の後を追いかけて、前沢ファミリーセンターから第2、第3の大谷翔平が出て来ても不思議はない。経営自体は今でも安定している。経営難から閉店を余儀なくされている全国のバッティングセンターのオーナー達からすれば、羨ましく感じることばかりだろうが、そんな小林にも、頭を悩ませている問題があるという。

「私には娘が3人いるんだけど、跡取りが居ないんですよ。せっかくノウハウもあるから、継がせたいんですけど、誰か来ないかなあってずっと待ってるんですけどね。跡取りを募集していることも、よかったら書いておいてください」

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 やはり後継者問題ばかりは、どんなに知恵を振り絞っても1人では解決出来ない悩みである。だが小林は、一切後ろを向いていない。

「まだまだやりたいことがあるんです。バッティングセンターの上に、ゴルフの打ちっ放しを作りたいんですよ。それからバッティングセンターをドーム化してね、200km投げるピッチングマシンやピッチャーが投げるモニターを設置したい。採算のことがあるからまだ難しいんだけど、やっぱり今もね、ファミリーで来てもらって楽しんで帰ってもらいたいよね」

 野球への情熱でバッティングセンターを始めるオーナーが多い中、小林の情熱は競技者というより“エンターテイナー”の気質に近い気がする。前沢バッティングセンターの法人名は「前沢ファミリーランド」、この名前には、そんな小林のプロフェッショナルとしての矜持が凝縮されている。

前沢バッティングセンターのフロント(著者撮影)

 40年前は少年だった常連が父になり、祖父になっても、子や孫を連れて来て、現在もお客さんが途切れていない。だからこそ個人でバッティングセンター経営を維持できている。そう言って胸を張る小林は、最後に目を光らせてこんな野望も話してくれた。

「フィリピンのセブ島にバッティングセンターを作らないか?という話ももらったことがあるんです。フィリピンにはまだ1軒もないんですよ。私一人ではなく、何人かで出資してやろうかなと思っているんですけどね。日本より税金も安いし、これから発展する若い人達が多い国だから、出来たら凄いことになるんじゃないかって気がしてるんですよ」

 “山っ気”の方も、まだまだ衰える気配は無さそうだった。

食堂のメニューは、丼物から麺類まで種類が豊富(著者撮影)

後編へ続く

日本バッティングセンター考

カルロス 矢吹

双葉社

2022年2月17日 発売

「あんまり目立つ子じゃなかったですねえ。お兄さんの方が目立っていた」大谷翔平も通った“国宝級の輝きを放つ”バッティングセンターの歴史

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