文春オンライン

「こんなに使い勝手がいい人はいませんよ」新石川県知事・馳浩の評価が、プロレス時代と全く同じという件について

2022/03/15
note

 選挙報道では馳は苦戦とすら報じられていた。こうしてみると馳は仕掛けが早すぎたように見える。昨年7月には早々に会見を開き、谷本知事が進退を明らかにしていない段階で「後継」と名乗った。森喜朗という強大なバックがいるからこそ、こういう振る舞いが反発を招いたのだろう。言わば盤石すぎてブーイングが飛んだのである。

 これは馳浩らしいなぁと思った。私は馳をプロレスラーの頃から見ているがこの状況は国内デビュー戦のときと全く同じなのだ。

©文藝春秋

エリートすぎて反発を買ったプロレス時代

 長州力の秘蔵っ子として入門後すぐに海外武者修行というエリートコースを歩んだ馳浩は、87年12月27日の新日本プロレス両国国技館大会に凱旋帰国した。なんと帰国第1戦でいきなりチャンピオンになったのだ。

ADVERTISEMENT

 しかし、さぁスター誕生! とはならなかった。

 あまりにもエリート路線過ぎてプロレスファンの反発を買ったのだ。ファンは逆境から這い上がってくるレスラーの生き様が好きだ。馳浩は将来が約束され、お膳立てができすぎていたように見えてしまい観客からブーイングを浴びたのである。

 これって今回の県知事選のスタートとまったく同じだ。森喜朗の支援を背に知事の座が約束されたような振る舞いをして反発を食った。歴史は繰り返す。

 ちなみに私は馳浩をプロレスラー時代から「政治家がプロレスをやっている」と思って見ていた。馳はメインクラスの選手でもあるが興行の中盤も任せられる便利なタイプだった。佐々木健介という不器用な選手も馳とタッグを組むことで光ることができた。道場主として若手育成をするなど裏方としても新日本プロレスを支えた。現場監督の長州力からすると使い勝手がよかったはずだ。