皇太子ご夫妻の意図と浩宮さまの希望とが合致
明仁皇太子は浩宮の大学の専攻について、「大学への進学や選択については本人がどう考えているかを見守りたい。ただ学問はしてほしいと思います」と答えた(1977年8月10日記者会見)。それは、「皇室の伝統を見ると『武』ではなく、常に学問でした」「学問を愛する皇室という伝統は守り続けたいと思います」(同記者会見)という、過去の天皇制の性格に関する皇太子の認識があったからである。学問を自ら行い、奨励することが伝統的な天皇のあり方であると考え、子どもにもそれを引き継いで欲しいと考えた。一方で、「見守」るというように、自主性も尊重していたと言える。
美智子皇太子妃は、専攻などについては皇太子と相談して選ぶことになるとしつつ、「私はとくに、浩宮が将来の自分の立場を自覚して、皇室の歴史を貫く仁の心を身につけていってほしいと思います」と述べた(1977年10月18日記者会見)。ここで意識されているのは、やはり皇室の歴史性であろう。将来の天皇となる浩宮には、そうした歴史を学んで欲しいという両親の思いがあったのではないか。浩宮自身も大学で史学科への入学を希望、皇太子夫妻も「本人の志望を尊重する」と賛成(「朝日新聞」1978年2月10日夕刊)し、学習院大学文学部史学科へ進学することになった。
このように歴史を専攻することは、皇太子夫妻の意図と浩宮の希望とが合致していたからであった。皇太子夫妻は、将来の天皇としての必要な知識や思考を得て欲しいと考え、浩宮の選択に賛成したのではないか。ただし、ここで将来の天皇としての特別な教育がなされるわけではない。歴史を学ぶことが過去への見方を養い、現在の社会を考える手がかりになると考えられたのである。その意味では、教養を身に付ける、スペシャリストよりもジェネラリストを養成するという側面があるだろうか。そのため、大学だけではなく、天皇に関する歴史は、学習院大学や東京大学の教員から個人的に浩宮へ教授された。それこそはいわゆる「帝王教育」と呼ばれるものかと思われる。
悠仁さまは受験の競争の環境に身を置くことにもなる
今回、悠仁親王の進学は、これまでの学習院への進学とはまた違った人々との触れ合いを持つ機会になると思われる。そして3年後に大学への進学が注目されるようになるだろう。悠仁親王は、住まいの赤坂御用地でトンボの生息調査や米・野菜の栽培に取り組むなど、生物学や農業に関心を持っており、より関心のある理系の学部への進学のために進学校である筑波大学附属高校へと進学したと報道されている(「読売新聞」2022年2月17日)。
そうすると、その関心をさらに深めるために大学は学習院大学を選択しないのだろうか。その時、上皇のように将来の天皇としてのあり方のみを追求する進学になるのか、天皇のように自身の興味関心と将来の天皇としてのあり方を折衷させる進学になるのか、それとも自身の興味関心をとにかく追求する新しい進学になるのか、注目されるだろう。さらには、内部進学も多い学習院ではなく筑波大学附属高校への進学によって、これまでの皇族とは異なった、受験の競争の環境に身を置くことにもなるだろう。高校生活がどうなるのかも注目される。