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東京大学をも視野に入れていた

 学習院大学には理学部があるが、当時は物理学科と化学科のみで、現在のように生命科学科がなかったゆえ、生物学ができないから政治学科へ進学したのだろうか。そうではないと思われる。『昭和天皇拝謁記』には、昭和天皇が皇太子の進学に関して「大学は南原総長の間は東大はいやだから、学習院の方がよいと思ふ。南原がやめた後なら東大でもよいが」(『昭和天皇拝謁記』1950年9月1日条)と田島道治宮内庁長官に語ったことが記されており、天皇周辺では必ずしも皇太子の進学先として学習院大学のみを想定はしておらず、東京大学をも視野に入れていたことがわかる。

 しかし、自身の退位論を積極的に展開する南原繁が総長の間は、天皇は自分の子どもを東京大学へは入れたくなかった。それでも、必ずしも皇太子を戦前の皇族・華族のための教育機関である学習院の大学へ入れなくてはならないという考えもここにはない。その意味では学習院へのこだわりはなかったのである。

2009年12月、「こどもの国」でミニSLを楽しまれるご一家 ©共同通信社

 では、何が要因かと言えば、明仁皇太子自身、先の記者会見で「生物学は家でやればいいじゃないかと。ただ、今から考えてみると、そういうことをいった人達は本当に正しかったと思うんです。いま私がやっている研究がそれで生きたと思うんです」(1977年12月19日記者会見)と述べていることからもわかるように、皇太子が学びたいという生物学が皇太子・天皇にとっては必ずしも必要な知識や思考の獲得に繋がるものではないと考えられたのであろう。

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 つまり、内奏を含めて政治・経済・外交などに関する話を聞き、それに関して質問する機会も多い皇太子・天皇には、それを理解できる知識や思考を身に付けてほしいと考えられ、政経学部政治学科への進学が勧められたのである。そして皇太子が興味関心を持つ生物学はライフワークとしてその後に取り組むよう考えられた。皇太子自身、そうした選択は当時としては不安であったが、後から振り返ると「それで生きた」と考えたのである。

「わたくしは、今、大学で、日本史を教えています」

2020年1月、新年一般参賀での天皇皇后両陛下 ©AFLO

 では、現天皇(浩宮)の進路選択はどのようなものであったのか。浩宮は小学生のころから日本史に興味があった。学習院初等科を卒業する際、卒業を記念する作文「二十一世紀からこんにちは」では、「わたくしは、今、大学で、日本史を教えています」と書き、初等科4年生の時に奈良へ行った思い出を記している(「朝日新聞」1972年3月25日夕刊)。もちろん、将来の天皇になることはわかっていたとは思われるのでこれはあり得ない想定ではあるが、本人にはその後も歴史を専攻しようとする意思があったのだろう。

 浩宮が高等学校くらいになると、大学で何を学ぶのか、そしていわゆる「帝王教育」をどうするのか、といった問題がクローズアップされるようになった。そのため、皇太子・皇太子妃の会見では記者からたびたびその話題が出るようになる。