ディレクターとして現地入りしたソチオリンピック
――いまは子育て中心の生活だと思いますが、3年ほど前まではフジテレビでバリバリ働かれていたとか。もともとテレビ業界に興味があったんですか?
中野 中学生時代から、漠然と報道に興味がありましたね。確か、中学校の卒業アルバムに「スポーツキャスターになりたい」って書いたのを覚えています。
――「フジテレビに入りたい!」と決めたタイミングは?
中野 大学院に進学して、引退が見えてきたタイミングです。引退したあとも何らかの形でフィギュアスケートには関わりたかったので、全日本や世界選手権の中継権を持っていたフジテレビに入れたらいいなって。
――就活中はバンクーバーオリンピック出場の可能性があったんですよね。
中野 そうですね。面接官の方にも「もしオリンピックに出場できて、メダルを獲れたりでもしたら、きっとテレビ局じゃなくてもたくさんテレビの仕事できると思いますよ」と言われたんです。
でも私はそのとき「たとえオリンピックに行ってメダルを獲ったとしても、私はフジテレビに入って仕事がしたいです」と伝えました。
――意志が強い。入社してからはどんな仕事を?
中野 初めは映画の製作に携わるアシスタントプロデューサーとして配属されました。入社1年目は右も左もわからないままでしたけど、2年目からは少しずつ業務をこなせるようになって、だんだん仕事が楽しくなっていきましたね。
2年目のときには、『踊る大捜査線 THE FINAL』の仕事にがっつり携わらせてもらって。毎日深夜まで、プロデューサーと喧嘩しながら仕事をしていました(笑)。
――テレビ業界は仕事が大変なイメージです。
中野 そうですね。特に映画の宣伝は、夜遅くまで仕事をして、慣れない生活が大変でした。でもそれが終わったときの喜びは、フィギュアスケートを滑り終えたあとの爽快感と似ていて。「チームみんなで作品を作り上げた」という達成感もあったから、辛くても頑張れましたね。
――その後、スポーツ局に異動されたんですよね。
中野 3年目の途中からです。スポーツ局に配属されてからすぐにソチオリンピックの準備が始まって。大会期間中はディレクターとして現地に行きました。
――選手として出場できなかったオリンピックの舞台に仕事で行くときは、どのような心境でしたか。
中野 「少しは感傷的になるかな」って思ったんですけど……そんな気分になる暇がないくらい忙しくて。当時は『すぽると!』を担当していて、毎日放送があったので、慌ただしくしている間にオリンピックの空気に溶け込んでいた気がします。