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 原作にない風呂光描写の例をあげよう。第5回では整に恋人がいるのではないかとやきもきする。夜中、彼のいる病院までタクシーに乗ってやって来て、ライカ(門脇麦)との出会いを目撃する。これに関しては風呂光を演じる伊藤沙莉がタクシードライバーを演じる主演映画『ちょっと思い出しただけ』がちょうど公開されたところだったから、サービスかと考えれば大目に見ることもできなくはなかった。

映画『ちょっと思い出しただけ』(2022)公式HPより

 第9回の原作にない登場は、事件に巻き込まれた整がひとりごとばかり言っていると漫画なら成立するがドラマだと間が保たないから、風呂光と話しながら事情を整理していく役割が必要だったのだろうと想像はできる。

 だが、第10回、ライカとの幕切れに傷心の整に「友達になってあげます」と風呂光が言うのはいかがなものだったか。それも「久能さんさみしくないですか」「あの私が友達になってあげます」「刑事としてでなくひとりの友達として久能さんと接したいというか」「ではそういうことで」と矢継ぎ早に語りかけて物語の余韻をぶち壊した気がしないではなかった。

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ドラマの風呂光聖子は“目撃者”

 原作だと、いつもひとりでいる整の自己完結しがちな点を相対化する役割はライカである。それまで友達も恋人もいたことがない整は偶然、病院で知り合ったライカと友情とも恋愛ともわからない未分化な感情を通わせていく。彼女が整と語り合うことで、整が自身を確認していく。

 足湯に入りながら、整とライカという何かに傷つき、不器用で、他者とコミュニケーションをとりにくい者同士が知性によってお互いや世界の仕組みを理解していく。それが原作の見どころのひとつでもある。

原作漫画 田村由美『ミステリという勿れ』1巻/小学館

 整とライカのひそやかな麗しい物語。その目撃者として、ドラマの風呂光は存在している。どういうわけかテレビドラマは、視聴者にわかりやすい見方を示すため、基準になる人物を配置する。『ミステリ』の場合は、風呂光が整に好意をもつことで、視聴者も彼に好意をもって言動に注視するようになる。

 主人公なんだから興味をもたれて当然なのだが、整は前述するようにつかみどころのないところがある。おしゃべりが長く、ひじょうに論理的ではあるが、理屈っぽくていささか親しみにくい。しかも友達も恋人もいない。だから、彼のよき話し相手となる人物が必要で、それはバスジャック事件で整が出会ったガロ(永山瑛太)であり、ライカである。

 ガロは後々の物語に重要なキーマンであり、そこまでは姿を現すことはできない。ライカも原作では物語の途中から出てくるので、そのライカを最初から出すような改変は難しい。

 だがテレビドラマはとかく間口を広げたがるもの。ガロやライカと出会った整がじょじょに世界を広げていく原作のようなゆったりした時間を描いている間はなく、てっとりばやく整と語り合う人物を作る必要にかられ、その結果、物語の最初から出てくる風呂光に目撃者あるいは話し相手の役割としての白羽の矢が立ったのだろう。