テレビドラマは原作ものに頼り過ぎていると言われて久しい。オリジナルでは世帯視聴率がとれない。ドラマの企画を実現するには、売れている、あるいは人気作家が書いているというような保険が必要だ。そうして原作ものが続々ドラマ化され、テレビ局は原作のプロモーションビデオ制作会社化しているかのようだ。

 だが小説や漫画を実写化したとき、必ずしも原作通りになるとは限らない。キャストもストーリーも微妙に原作とは変わり、そうすると原作ファンが異を唱える。にもかかわらず、そこも含めて話題になるので、どんなふうに作ろうとオリジナルより原作もののほうが安心なのである。

 月9『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ 月曜9時~)も原作と違うことが話題になっている。原作は田村由美の漫画で21年暮れの時点で累計1300万部を超えるほどの人気作だ。

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ドラマ『ミステリという勿れ』(フジテレビ系)公式HPより

 現在単行本が10巻まで発売されている。主人公・久能整(菅田将暉)は探偵でもその助手でも刑事でも検事でも検視官でも科捜研でもない(原作第1巻より。ドラマ第1話にもあり)一般大学生だが、あるとき、殺人事件の容疑者になったことをきっかけに次々と殺人事件に関わるようになる。

 整は事件を捜査することを生業としていない(学生だし)から、ルーティーンのように事件がやってくるわけではない。にもかかわらずなぜか彼はゆく先々で事件に巻き込まれていく。美術館に行こうとしたバスがバスジャックされたものだったり、たまたま入った焼肉店が強盗に占拠されていたり。そのたび持ち前の怜悧な頭脳を駆使して事件を解決する。

 それらのエピソードを1話完結形式ではなく、微妙に各事件を重ねて描いている。1回の放送でふたつのエピソードが描かれたり、前後編でひとつのエピソードが描かれたり、ワンエピソードを1回で描くという暗黙のルールに縛られていない。そこは原作に忠実だと感じたのだが、強烈に原作との違和感を覚える点があった。風呂光聖子(伊藤沙莉)という人物の扱いだ。

伊藤沙莉が演じる「風呂光聖子」(『ミステリという勿れ』公式HPより)

 風呂光は、整が巻き込まれた最初の事件のときに出会った刑事である。男ばかりの警察署のなかでいわゆる紅一点的な存在だ。おじさん(とくに権力サイドにいる)は徒党を組むが女性はそうしない。だからこそ、群れるおじさんのなかにひとり女性がいておじさんたちが行き過ぎないように見張ることが彼女の存在意義だと整に言われた風呂光はじょじょに仕事に精を出し始める。

 こう説明すると、風呂光はなかなかの重要人物かと思うが、原作ではこのエピソードの後(あと)はさほど出てこない。出番や整との関わりが多いのは、同じ警察でも巡査部長・青砥(筒井道隆)とお調子者の池本(尾上松也)のほうだ。ところがドラマでは風呂光の出番が多い。原作では出番のないエピソードにもドラマでは登場するうえ彼女はほのかに整を想っているような設定が付与されている。