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2022/04/05

「あらゆる失敗が私という人間を作ってきた」

 本人も「リサーチが全く必要のない役だった」と言うくらい、キャットとロペス自身は重なる。映画でも二度の結婚歴を指摘されて「最初の結婚は法的に無効だからカウントしない」と言うセリフがあるが、ロペス本人も三度の結婚のうち、「最初の二回は短すぎたから、カウントしない」と公言している。三人目の夫だったラテン歌手マーク・アンソニーとは2004年に結婚、男女の双子をもうけたが、11年に破局を発表した。

「全く切り離せないくらい、私と彼女は重なっているわね。人気アーティストであり、ブランドを持つことには私も詳しいから(笑)。

 一方で難しかったのは、内面の痛みをさらけ出すこと。つまりこの映画みたいに辛いことが起きて、傷ついた時、私が自分の部屋で本当は何を考えているのか。メディアに攻撃され、世界中に監視されている時に、どんなふうに感じているのか。そこをリアルに表現しないと真実味がないと思った。

 チャーリーに『全部捨てて逃げ出してしまえば』と言われても、彼女なりの哲学があるからそれは出来ない。静かな愛も育みたい一方で、キャリアも大事だというキャットの気持ちもよくわかる。実感を込めて演じたわ」

本作で映画デビューを果たしたラテン・ポップ界のスター、マルーマとの豪華デュエットシーンは圧巻!
© 2021 Universal Pictures

 この痛みというのはベン・アフレックとのかつての破局を指しているのだろうか。二人は02年に映画での共演をきっかけに交際し、その年に婚約。その類を見ないほどの熱愛ぶりは、“ベニファー”という呼び名が生まれるほどの大旋風を巻き起こした。しかし、共演作がコケた頃から逆風が吹き、04年には婚約を解消してしまう。過激な報道合戦によって、若き二人は疲弊してしまったのだ。

 ロペスは14年に発表した自叙伝の中で「最大の失恋だった」と書いており、憎み合って別れたわけではなかったため、交流は続いていた。アフレックが「彼女は努力の人で、もっと尊敬されるべきなんだ」と語ったこともあった。

 そして昨年、なんと17年ぶりに復縁! 着飾ってレッドカーペットに登場するだけでなく、それぞれの子供を交えて普段着でデートする姿も微笑ましく、ファンを歓喜させた。

今年2月の『マリー・ミー』LAプレミアには、昨年復縁したベン・アフレックと出席。プエルトリコ系のロペスに対して、アフレックはヨーロッパ系の白人。17年前の破局の背景には『ウエスト・サイド・ストーリー』のような人種問題もあったという ©ABImages

 前回の公開恋愛での失敗から学んだのか、「バレンタインはパートナーと二人だけで過ごしたい。パパラッチのいないところで」とロペスは言う。この日の取材ではベンという名前は発しなかったものの、「二人でこれからの人生と愛について語り合いたいの。一緒にいることがどれほど素晴らしいか。私たちは運命共同体だと思う」とにこやかに語った。

 思えば彼女の恋愛は、いつも結婚前提だ。何度も婚約するのは、裏返せば結婚を信じているからなのだ。

 なぜ、ベニファー復活がこれほど嬉しいかと言えば、中年になっても人生は再挑戦できる、という希望が感じられるからだろうか。一番の理由は、ロペスがあらゆるルールを破り、あらゆる差別を乗り越え、最高の自分を更新している姿に感動するからかもしれない。彼女自身もこう語る。

「劇中で歌うOn my way は私の人生の歌。私たちは、みんな間違いを犯す。でも、あらゆる失敗が私という人間を作ってきたのだし、今ある素晴らしい人生へと導いてくれたと信じているわ」

本作では自らプロデューサーも務めたロペス。プロデュースパートナーのエレイン・ゴールドスミス=トーマスとは、ロペスのギャラを白人スターと同等にするなど共に闘ってきた © 2021 Universal Pictures

Jennifer Lopez

 1969年米ニューヨーク生まれ。86年俳優デビュー。下積みを経て、98年の『アウト・オブ・サイト』でスターに。99年の音楽界進出以来、シンガーとしても圧倒的人気を誇る。

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