急速に少子高齢化・人口減少が進む日本。外国人労働者の力を借りなければ、社会が成り立たないことは政府も認めています。しかし、日本は外国人にとって住みやすい国になっているのでしょうか。

 ここでは、信濃毎日新聞社がコロナ禍の外国人労働者問題を取材してまとめた書籍『五色のメビウス』より一部を抜粋。日本人の夫を突然失った、フィリピン出身の中嶋メイさんへ取材した内容を紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)

特別養護老人ホームで働く中嶋さん。夫の急死後、地元周辺の工場などを転々とし、生計を立ててきた。(2021年4月25日、駒ケ根市)

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「甘くない」現実は違った

 同じように駒ケ根市に住むフィリピン人の「ママ友」の家で開かれた誕生日会に出てから午後6時すぎ、6歳の長女を連れてバタバタと帰宅した。「ただいま」。2階の寝室にいるはずの夫に声を掛けた。いつもの返事がない。「どうしたんだろう」

 夫の仕事は運転代行。夜、出勤するぎりぎりまで寝ていることが多い。部屋をのぞくと暗い。明かりをつけると、夫はベッドであおむけになり、目を閉じていた。テレビの画面は消えているのに、左手はリモコンを握り締めたまま。「絶対におかしい」「いや寝ているだけ」。心臓がばくばくしてきた。

 1階に駆け降りて廊下の電話から119番。「助けて。旦那さん起きない」とだけ叫び、すぐに電話を切ってしまった。パニックだった。でも、電話番号から分かったのか、すぐに救急車が来た。

 忘れもしない2007年2月20日のことだ。中嶋メイさん(50)は当時36歳。1996年に結婚した夫は46歳で帰らぬ人に。心筋梗塞だった。

 1999年に来日。まだあまり日本語を話せず、夫が長野県駒ケ根市内の昭和伊南総合病院に運ばれた時も、駒ケ根署員が家に来た時も状況を詳しく話せなかった。

「頼れる唯一の人」が逝ってしまった。頭が真っ白のまま、日々が過ぎていった。