他局はすべて一次で落ち、テレビ朝日も最初はダメだった
中野 そのお悩みは大下さんの知性の表れと言っていいものだと思います。その話を深く掘り下げてしまう前に伺いたいのですが、大下さんは1993年入社、ということは就職氷河期世代ですね。
大下 入社試験は他局はすべて一次で落ちました。テレビ朝日も最初の試験は落ちたんですよ。その年はもう一度試験があったので受け直したもののカメラテストで英語の質問にしどろもどろになり、「特技と書いてある英会話、たいしたことないね」と言われる始末。ああ、もうダメだろうなと思っていたらなぜか通った。
後日、そのときの面接官が「ほんとにそうですね、と明るくサバサバ答えた素直さがよかった」と教えてくれました。
中野 応募した女子学生は約2000人と伺いました。採用されたのは大下さんと丸川珠代さん(現参議院議員)の2人だけだったそうですね。
大下 その年は男性2人女性2人の計4人がアナウンサーとして入社しました。
私は郷里の広島弁が抜けず、新人研修の講師から「このままではアナウンサーとして商品にならない」と言われました。丸川は1年目から報道番組のリポーターに抜擢され、私は担当番組がなくアナウンス部で電話番やお茶汲み。常にアクセント事典を携え、新聞を1面から社会面まで音読する毎日でした。
ようやく番組の提供読み(スポンサー名を読む)ができるようになると、15秒・30秒の番組宣伝、試写会の司会、ナレーション、アマチュアスポーツのリポーター……と、だんだん仕事を割り振られるようになりました。
中野 大下さんは長くキャリアを積んでいらしても決して驕らない人であることを、多くの視聴者も画面越しに感じ取っているのではないかと思いますが、業界に入ったころの初心を忘れず今もなお自身を磨こうとされている姿勢に、本当に頭が下がります。
『ワイド!スクランブル』のアシスタントからメインのMCになられ、2年前から番組は、大下さんの名前が付く、いわゆる冠番組になりました。私はコツコツと誠実なお仕事ぶりを拝見してきましたから、それが正当に評価されたということがとてもうれしかったです。
大下 私はびっくりしましたし抵抗したんですよ。さりげなく仕事をしていきたい。一会社員として荷が重すぎる。もう番組を辞めさせてくださいとまで言って。ところが上の人から「さりげなくやっていけるような時間帯じゃないんだ」と押し切られてしまいました。