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「お前、調子に乗ってんじゃねえぞ?」

「すみません」

「二度と遅刻なんかするんじゃねえぞ!」

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「はい」

朝7時までファミレスで続いた叱責

 怒られてはあやまる。下高井戸のファミレスで、朝7時までこれをくり返しました。そのときはまわりを観察する余裕はまったくありませんでしたが、お店にいた人たちはたぶんビックリしていたでしょう。

 心からあやまり続けていた僕でしたが、もう一つ、上島さんに対しても申し訳ない気持ちで一杯でした。せっかく楽しく飲んでいて「もう1軒行こう」となったのに、朝までずっと気まずい状況にお付き合いさせてしまったのですから……。

 でも、上島さんはやさしかった。志村さんがトイレに立つたびに、

「まあ、次から気をつければいいんだから」

「誰だって人生に一度は遅刻しているから」

 などと慰めてくれたのです。以後、僕は遅刻をしていません。やはり志村さんは怒って直せると思ったから怒ったのです。

東村山駅前にある志村けんの木 ©️文藝春秋

「週8」で会っていた人とは?

 話は前後しますが、志村さんと上島さんが初めて出会ったのは、僕が付き人になって2年が過ぎた頃だったと思います。

 前に書いたとおり、志村さんは麻布十番では一般の方と飲むことが多かったのですが、僕が付いて2年目あたりから、少しずつ有名人の方たちと食事や飲みに行くようになりました。

 その頃よく飲んでいたのは、全日本プロレスの渕正信さん、川田利明さんです。このお2人と志村さんが麻布十番の中華料理店『梁山泊』で食事をしているとき、何かのきっかけで「川田さんとダチョウ倶楽部の上島竜兵さんは仲がいい」という話になりました。

 それを聞いた志村さんが「会ってみたい」と言ったので、川田さんはその場で電話をかけました。そして1時間ほどして、『梁山泊』に上島さんが来たのです。

 僕としては「うわっ!」という感じです。実は僕は『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』を見て以来、上島さんの大ファンだったのです。

 上島さんと会えた! いい記念になった! 心の中で喜ぶ僕。ところがこの日以降、毎日のように上島さんと顔を合わせるようになりました。志村さんと上島さんがほぼ毎日、それこそ「週8で会っているんじゃないか?」というくらいひんぱんに食事や飲みに行くようになったからです。

網走刑務所ロケで。(中央奥に著者。手前はダチョウ倶楽部の上島氏と肥後氏)(筆者提供)

 上島さんからの連絡は、僕の携帯にもたびたび入りました。たとえば車で飲み待ちをしていると、「師匠は今どこ?」と連絡が来るのです。