「戦争前夜だ」
ここまでくればもう、一触即発だ。
右翼団体と暴走族は「ブラジル人の一掃」「襲撃犯殲滅」を訴え、県内の別組織にも応援を要請し、保見団地に結集した。数十台の街宣車が保見団地を取り囲み、バイクや改造車が轟音をあげて周回した。
一方、ブラジル人グループも全面対決を覚悟した。チェーンやバットなど、とにかく武器となりそうなものをかき集め、団地内の駐車場に集まった。ブラジル人側も、県内のブラジル人たちに応援を要請、続々と人が集まった。
慌てたのは愛知県警である。名古屋などの繁華街ならともかく、閑静な住宅街において、ここまで大掛かりな抗争は初めてだった。
県警の機動隊が出動し、両者の間に割って入るように装甲車を並べた。上空からは県警のヘリコプターがサーチライトで両陣営を照らし続けた。
マスコミも集まった。まるで衝突を期待するように、興奮した記者やリポーターが団地内を駆け回って取材していた。
「戦争前夜だ」「まるで戒厳令のようだった」
当時を知る住民に話を聞くと、そんな答えが返ってくる。
藤田も、その夜のことははっきりと覚えている。
「あんなにすごい数のヤクザを目にしたのは初めて」だったという。だが、それほど恐怖は感じなかったとも付け加える。
「日本のヤクザは口だけの人が多いですからねえ。ブラジルだったら、子どものギャングが平気で拳銃を振り回しますからね。撃たれないだけ日本のほうがマシだとも思いました」
右翼団体と暴走族による「ブラジル人排斥」街宣
むしろ藤田が「怖い」と思ったのは、暴力に巻き込まれることよりも、日本人とブラジル人の間に走る亀裂が、さらに広がることだった。
「そのほうがよほど絶望的」
ヘリコプターのサーチライトを眺めながら、藤田は抗弁できない自らの出自を思っていた。
幸い、この日は機動隊の封じ込めによって、大規模な衝突は防ぐことができた。だが、これをきっかけに、しばらくの間は右翼団体と暴走族による「ブラジル人排斥」街宣が続く。
ちなみに騒動の最中において、保見団地に住む一部日本人住民は「これ以上外国人を入居させないでほしい」と、住宅公団や県に申し入れをおこなった。
「共生」には程遠い状況がそれからしばらく続くのである。
【前編を読む】「私が目指しているのは当然、排外主義なんです」と喧伝する団体も…日本の団地で起きている中国人に対する偏見のリアル