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団地の生活に違和感

「時給が高くても当たり前だと思ったよ。当時はまだブラジル人が増えていく過程だったので、ブラジルスーパーもありませんでした。しかたなく近所の名鉄スーパーで買い物していたのですが、とにかくすべての商品が高くて驚きました。肉なんてね、ブラジルの何倍するんだろう。ブラジルでは毎日のように食べていた牛肉にいたっては、まるで宝石のような値段。しかも100グラムとかで売られているでしょう? ブラジルでは一度に5キロくらい買うんだけど、そんなことしたら給料がすべてなくなってしまう」

 好物のフェジョアーダ(インゲン豆を煮込んだ料理)を食べたくても、肝心のフェジョアーダ用のインゲン豆が見当たらない。周囲のブラジル人から大豆を代用品にしていると聞いて試してみたが、まるで違った味になってしまい閉口した。

 そして、団地の生活にも違和感を覚えた。

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 日本人との交流をほとんど持つことができなかったからだ。

「この団地には続々とブラジル人が入居してきました。しかし、それを日本人住民はあきらかに歓迎していなかった。こちらとしては日系人という意識があるから日本人に対してはどんな国の人よりも親近感を持っていましたが、それでも日本人からすれば私たちは“ガイジン”に過ぎなかったんですね」

 とはいえ、コミュニケーションと物価の問題を除けば、けっして悪い国じゃない。賃金も高い。なによりも治安が良い。これは大事なことだった。

「どんなに明るくて陽気な国であっても、治安の悪さは致命的です。さんざん考えた結果、家族も日本に呼び寄せようと思いました。子どもたちはまだ小さかったので、きっと日本に順応できると思いました。犯罪に巻き込まれる心配の少ない日本で高い教育を受けさせることこそ、親の役割だと思うようになったんです」

ガイジンへのイジメ

 来日した翌年、家族を保見団地に呼んだ。

 たんなる「デカセギ」のつもりでいたが、悩んだ末に定住の道を選択したのだ。

 妻も、子どもたちも、ブラジルでは見たことのない清潔で安全な高層住宅の群れを喜んだ。想像していた大都会ではなかったが、少なくともここではギャングの抗争もなければ、拳銃を持ってうろつく悪ガキもいない。

 だが――銃弾が飛び交うことはなかったが、別の恐怖が子どもたちを襲った。

 イジメである。

 藤田が居住を始めたころ、団地に隣接する小中学校では、日系ブラジル人はまだ完全なマイノリティだった。

「顔立ちは日本人であっても、日本語が不自由。しかも生活習慣もカルチャーも違う。そうしたことから、どうしても日系ブラジル人はガイジンとして浮いた存在となってしまう」