精神科病院での身体拘束は、他に方法がないと精神保健指定医が認めた場合のみ、例外的に行うことができるとされている。しかし、日本の精神医療における身体拘束率は近年倍増しており、世界的に見ても著しく高い。
摂食障害を理由に精神科病院に入院した武田さんは、“地獄”のような身体拘束生活を経験した。のちに病院に対して損害賠償を求める裁判を起こすが、病院側は次のように主張している。
「拘束を中止したら、(点滴の)自己抜去や自殺企図、自傷行為の恐れ、安静を守れず過活動や運動もあると判断した。身体拘束以外に代替方法はなく、継続が必要だった」
しかし、武田さんの当時の体重は生命に危険が及ぶ恐れのある数字ではなく、入院中の食事も経口摂取できていた。点滴抜去の防止のために拘束以外の代替手段を検討した形跡もなかったという。
ここでは、「東洋経済オンライン」が日本の精神医療の闇に迫った『ルポ・収容所列島』より一部を抜粋。当時14歳だった武田さんが経験した壮絶な状況について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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14歳の少女が体験した地獄
「かゆいときも自分ではかけず、寝返りもいっさい打てません。一度大嫌いなクモが天井から降りてきたことがあり、動かせない顔の数センチ横に落ちましたが、どうにもできませんでした。身体拘束された77日間で、『死』よりも『いつ地獄が終わるのかわからない生』のほうが、とてつもなく恐ろしいと知りました」
14歳のときに摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束された武田美里さん(27歳)は当時の経験をそう振り返る。
武田さんは中学2年の冬からダイエットを始めた。
「始めたきっかけは単純で、学校の友達に『思ったより体重あるんだね』と言われたという、ささいなことでした」
完璧主義者だった武田さんは、ほんの少しでも体重が増えると摂取カロリーを過度に抑えるような食事制限を自らに課していた。
生理がなくなったりふらついたりする状態を心配した両親とともに、中学3年の春となる2008年5月にこの病院を受診し、入院した。
「医学知識はありませんでしたが、拒食症という病気であるならば治さなければならないと思い、また開放病棟での任意入院と聞き安心し、入院にも納得していました」
受診後、入院するまでの数日間、武田さんはどこかで入院生活を楽しみにしている自分もいたと話す。
「いままで病気らしい病気になったことがなかった自分に病名がつき、皆が自分の体を心配してくれることがうれしくすらありました。入院中、友達に手紙を書きたいし、家族の面会も楽しみ、同じ病室・病棟の子と仲良くできたらいいな、などと考えていました」
ところが入院当日、そうした浮かれた考えは一気に打ち砕かれた。案内されたのは病棟の奥にある、ベッドとポータブルトイレだけがある、無機質な独房のような隔離室だった。