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「じゃあやっておいて」手慣れた様子で77日間の身体拘束…14歳少女が精神科病院で味わった“極限の地獄”

『ルポ・収容所列島』より #2

note

制約ばかりの中、たった一つだけ許されたのは…

 鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。

「両親は『頑張ってね』と泣いて私を見送りましたが、私も両親もまさか次にお互いの顔を見ることができるのが、約4カ月半も先になるとは想像もしていませんでした」

 入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。

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 入院後、武田さんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。ベッドサイドに腰掛けることも認められない。

 また個室内の衝立のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。

 つまり武田さんに許された自由は、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。

 同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。

 しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。揚げ物の衣の油がきつく、できれば食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。

「主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」

 テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、武田さんの病院と主治医への不信感は高まっていった。

 入院から約1週間後、武田さんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。駆けつけた主治医に、彼女は思いの丈をぶつけた。