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春なのに荻野貴司はいない…からこそ、オープン戦首位打者・髙部瑛斗“覚醒”の予感

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/04/02

 今年は春なのに、荻野貴司がいない。そう、桜もまだ咲いているのに。

 いや、だからか。頼みのマーティンにずっと一本が出なかったのも、仙台で佐々木朗希に勝ちがつかなかったのも、たぶん彼がいなかったせいだ。「ぜんぶ、荻野のせいだ」。ホーム開幕戦で延長の末に敗れた夜、地獄のように長い海浜幕張からの帰り道で、ぼんやりとそんなことを考えた。

2013年の石垣島春季キャンプにて ©鈴木長月

気がつくとまた、なぜか荻野貴司はそこにいない

 多くのマリーンズファンにとってもそうだと思うが、ぼくにとっての「荻野貴司」は、とりわけ特別な選手のひとりだ。その入団以来、「好きな選手は?」と聞かれたら、間髪を入れず「荻野貴司」と答えてきたし、レプリカユニをはじめとした背ネーム入りのグッズは、もちろん背番号「4」か「0」のものしか買ったことがない。

 同じ大学から久々に出た、田口壮以来のドラ1スター。小学校のバス遠足は、奈良・明日香村の遺跡群だったし、中学生だった93年の夏には、なんの縁もないけど郡山高校のペナントを甲子園で買った。郡高と同じ大和郡山市内の高校に3年間通ったことも、個人的な思い入れを強くした。

 実際、肩書きとしての「スポーツライター」を名乗ったことがなく、現役選手の取材をする機会もあまりないぼくが、対面取材を複数回したことがあるのも唯一、彼だけ。その頃の彼は、まだまだ気がつくとすぐに1軍からいなくなる“妖精”だったし、「僕より、同期の宮西(尚生/日本ハム)のほうがすごいですよ?」なんて謙遜を、当の本人もしていたけど、それでも原稿には「荻野貴司はこんなもんじゃない」と書かずにはいられなかったし、いろんなところで言い続けた。

 そして、昨シーズン。彼は、36歳にしてキャリア初のフルイニング出場を果たし、念願の盗塁王のみならず、最多安打のタイトルにも輝いた。オフの契約更改ではついに1億円プレイヤーの仲間入り。確かに、宮西が大台を超えてからさらに10年もかかったけど、ぼくらの間ではずっと“俺たちの荻野貴司”だった彼は、名実ともに「こんなもんじゃない」ことを広く世間に知らしめてくれた。

 思えば、去年はここ10年でも過去最高に楽しめた1年だった。いつ何時、中継をつけても彼が1番に座って躍動し、チームにもまさかのマジックが点灯。最終盤まで優勝争いを繰り広げた。華々しくスポーツ紙の一面を飾る“怪物”朗希の登板にスポットライトが当たるたび、「今日も荻野は先頭打者ホームランを打つのか!?」と話題になることも、自分ごとのように誇らしかった。

 ちなみに、4月1日からの相手。魂を込めて戦え、負けられない西武には去年、若林楽人という、とんでもない逸材ルーキーが現れた。ちょうど1年前の同じ頃、マリーンズとの初戦でも、いきなりの1試合2盗塁。同じ右の外野手。同じオールドスタイル。尋常じゃないペースで塁を盗みまくって、夏が来るまえに離脱したところまでを含めて、あの年、2010年の荻野貴司によく似ていた。

 だけど、“俺たちの”荻野貴司は、あの頃の“妖精”ではもうないのだ。常人離れしたスピードを生む天性の脚力は、その高すぎるポテンシャルゆえに、肉体が追いつくのにも時間がかかる。彼、若林のお金の取れる美しい走塁に目を奪われながらも、去年のぼくには、そこに自軍のリードオフマンの姿を重ねて「すっかり頼もしくなって」と妙な感慨に耽る余裕まであった。

 のに、のに、のに……。

 気がつくとまた、なぜか荻野貴司はそこにいない。仙台での初戦を危なげなく取ったチームも、“宿敵”ホークスに3タテを食らって、ズルズルと4連敗。そこまで完敗な感じはしないのに、いまひとつ煮え切らないのは、やっぱりベンチに彼の姿がないからだ。