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26年前の謎 斎藤か川口か…あの日オリックスコアラーはなぜ巨人先発を読み切れたのか

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/04/03
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スコアラー・幸喜さんを驚かせた、ド素人の答え

 そういえば、この部屋に入ってから小一時間、幸喜さんと目が合ったのはこの時が初めてだった。幸喜さんの目はずっと双眼鏡だったから……。しかし、頭に“ド”が付くほどの素人の僕に意見を求めるとは……。溺れる者は藁をも掴むとは本当だ。

「斎藤じゃないですか」

 迷うことなく答える僕を、驚きの表情で幸喜さんは二度見した。ニヒルな幸喜さんが普段は見せない表情で……。

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「なんで分かるんや?」

 幸喜さんの顔は真剣だった。

「僕は斎藤雅樹やと思っています」

 ド素人の一言が、明らかに“肥後もっこす”であるプロフェッショナルを狼狽させた。

「だから……。なんで、そう思うんや? 根拠は何や?」

「だって、今日の報知新聞の先発予想が斎藤だったから。巨人の親会社は読売新聞。その系列のスポーツ紙ですよ。そりゃ、担当記者のプライドってあるんじゃないですか。そこは、読み間違えるはずはないのでは……」

 僕は、試合前のイベント進行表に目を落としたまま、幸喜さんに軽く言い放った。

 その道を生業とするプロが持ちうるあらゆるデータや、八方張り巡らしたアンテナに引っかかった情報、さらには試合前の観察からも導き出せなかった答えを、門外漢である僕がいとも容易く、単純な思考回路で導き出したことに、幸喜さんは、驚くどころか、妙に納得したのだった。

「なるほどなぁ。報知新聞の記者のプライドか……。そりゃ、予想を外したらデスクに何を言われるかわからへんものな。そうやな。わかった! 大前君、有難うな!」

 幸喜さんはそう言って、テーブルに堆く置かれていたメモやノートの類をかき集め、双眼鏡を首からぶら下げたまま、映像操作室を立ち去ろうとした。

「幸喜さん! 缶コーヒー! まだ残っていますよ!」

「あぁ、それな。少し口をつけたけど、あと、飲んでええよ!」

「なんでやねん」

 幸喜さんとの間接キッスはまっぴら御免だし、何より、苦いブラックコーヒーは僕の口が受付けない。

 かくして午後5時過ぎ、両チームのメンバー表が配られた。ジャイアンツの先発は、僕の“予言”通り斎藤雅樹。ブルーウェーブサイドのオーダーに目を遣れば、そこには対右投手用のメンバーが並んでいた。

「まぁ、そりゃそうやろ……」

 僕は特別な感慨も持たずに、これから始まる試合の演出に心を向けた。「今日、勝ったら、神戸での日本一の胴上げや!」と、昂ぶる気持ちを抑えることで精一杯だった。

 試合は、ブルーウェーブの逆転勝ち。復興途上のホームタウンとそこに住まう人々、そしてそれらに後押しされた市民球団が共に目指したゴールのテープを切ったのだ。“がんばろう神戸”の結実に、誰もが心を震わせた。

仰木監督が言った「スコアラーが重要な情報を掴んだ」

 日本シリーズを制覇した翌日の夜、ブルーウェーブの指揮官・仰木彬は東京・六本木のニューススタジオに居た。いつものダークスーツがその夜も似合っていた。日本一の監督としての全国ネット出演は、球団の末端で仕事をしている僕としても、誇らしい。ニュースキャスターが問う。

「仰木監督の采配は、時として“仰木マジック”と呼ばれます。相手先発投手によって打線を大胆に組み替えることもしばしばです。このシリーズでもジャイアンツの先発投手を見事に読み切ってのオーダーが功を奏しましたね」

「実は第5戦の先発が読めなかったんですよ。左腕投手の線を最後の最後まで捨てきれなかった。ところが、試合直前になって、スコアラーがある重要な情報を掴んできてくれて……。で、相手先発を斎藤と読んだオーダーを組めたのです」

 監督のこの言葉に、驚かないはずはない。スコアラーと言えば、幸喜さんだ。で、その幸喜さんが掴んだ情報って……。そこから先の監督の言葉が僕の耳に入ってくるはずはなかった。

「まじで? あの僕のひと言やん」

 それはそうとして、幸喜さんは、「先発は斎藤雅樹!」ということを、仰木監督にいかにして伝えたのか? まさか、「ビジョン室の大前君が“かくかくしかじか”言っていたから」と、伝えるはずはない。

 今になって悔やまれるのは、幸喜さんが監督にどう話したのか、確かめなかったことだ。あの後、幸喜さんと話す機会は一再ではなかったのに……。何故、訊かなかったのか、26年経った今もわからないままだ。

 日本一から少しばかり時間が過ぎた頃。球団事務所の席に着こうとしたら、デスクの上に置かれているオリックスグループの社用箋に気が付いた。そこには「あの時は助かった。有難うな! 岡田幸喜」との野太い文字が……。

 そんな走り書きに添えられていたのは、ブラックの缶コーヒー。幸喜さんの心遣いだ。この時ばかりは、苦いコーヒーのプルトップを何の躊躇いもなく開け、一気に喉に流し込んだのだった。

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