「イエス様はとにかく型破りな方で、当時の偉い宗教のセンセーたちには毛嫌いされていました。“大酒飲みの大飯食らい”なんて、悪く呼ばれていたぐらいですから……。でも実は私、このアダ名が大好きなんです。嫌われ者だろうがなんだろうが、イエス様はその人に会いに行き、友達になってくれる。自分の評判なんか、お構いなし。今の時代にイエス様がおられたら、立派な教会を建てて、そこで人を待つようなことは絶対やらねえと思います」
カウンターに数席しかない古びた木造のバーが200以上密集し、歌舞伎町の中で最も昭和の臭いが色濃く残る飲食街、新宿・ゴールデン街。
夜な夜な老若男女の酔客で溢れかえるこの町の店で、日曜夜に鈴の音が鳴ると、それまで大音量で流れていた音楽と客の声が止む。
夜の教会へようこそ――こうして中村透牧師(68)の“説法”が始まる。(全2回の1回目/続きを読む)
アメリカで20年間牧師を務め、帰国後はゴールデン街で伝道
「説教というとなんだか叱ってるみたいで、仏教の“説法”という言葉を使っているんです。私は寺も仏像も好きですからね。坊主の友達も多いですし。一応、バーの入り口には『牧師バー』と看板を出していますが、ハシゴ客が多い町なので、よく見ず何も知らずに入って来る人も多いんですよ」
ゴールデン街で伝道を始め、約10年。元々は筋金入りの宗教嫌いだったが、世界中を旅するなかでキリスト教に出会い、30代の頃に洗礼を受けた。その後アメリカで20年間牧師として務めた後に帰国し、縁あってゴールデン街で伝道を始める。
店にはゴールデン街の酔客から、キャバ嬢など歌舞伎町の“夜の住人”、果ては坊主まで様々な人がやってくる。なかにはクリスチャンもいるが、ノンクリスチャンがほとんどで、バーカウンターに置かれた聖書も“異物”を見る目でのぞき込む人も多い。
「多くを愛したから、多くの罪が許される罪の女」のエピソード
新型コロナウイルスの蔓延防止措置が明けたこの日の説法の題材は、新約聖書のルカの福音書に登場する「罪の女」だ。この話は、イエスがある厳粛なユダヤ教徒の家の食事に招かれた際のエピソードだ。家には一人の罪深い女がおり、この女はイエスの足元に近づくと、涙でイエスの足を濡らして、自分の髪でぬぐうという行動をとる。
「香油というのは香水のようなもので、当時はめちゃくちゃ高価なものでした。彼女は香油を塗りに来たのに、イエスの足元にひざまずくと、なぜだか涙がボロボロ止まらなくなってしまうんです。彼女は『罪の女』として周囲からひどい扱いを受け、誰からも相手にされなかった嫌われ者。何か感じることがあったのでしょう。
彼女は涙で濡れたイエスの足を、女の命である髪を雑巾代わりにして拭いたんです。それを見た偉いヤツらは、『こんな穢れた女が触ってんのに平気な顔をしている、イエスなんて大したことねえ奴だな』と思いました。『穢れが移る』とでもいうんでしょうかね。でもイエスは彼らの心の中を読み、こう言うんです。『この女は多くを愛したから、多くの罪が許されるのだ』と」