深刻に悩んだり、何かにうんざりして…そんな人が多い歌舞伎町で
中村牧師は、歌舞伎町で伝道を行ううちに気づいたことがある。
「普段ニコニコしている人でも、心に何か傷を負っている人は、想像以上に多いんだなと思いました。友達3人ぐらいで飲みに来て、能天気に騒ぎ『楽しかったあ』と帰って行ったのに、しばらくしたら今度は1人で店にやって来る。他に客がいる時は適当に話を合わせていますが、静かに1対1で話せる状態になると、『実は自分は愛されたことがないんです……』と深刻そうに悩みを打ち明け始める。歌舞伎町の人は人間関係に寂しさを覚えたり、何かにうんざりしている人が多いんじゃないですかね? 『こんなに苦労して何のために仕事をやっているかわからない』と嘆いたり、極端な場合、『死にたい』と相談してくる人もいます。でも少なくとも『神様は俺たちのことが大好きだぜ』と伝え続けています」
教会の在り方に疑問を持ち、思い付いた“牧師バー”
中村牧師は元々長く教会で牧師をしていたが、その頃から教会の在り方に疑問を持ち続けており、“牧師バー”というアイデアを思い付いたのだという。
「自分がやっていることは“宗教”ではなく“キリスト”だと思っています。宗教って、どうしても形式的だし、習慣化されてしまうんです。礼拝のスケジュールは分刻みですよ。何分に始まり、始まったら何人かが出てきてひざまずいて祈り、讃美歌を歌い、何分には信徒が聖書を朗読する。それから献金があって……。毎週同じことをやるので、礼拝の参加者はよく訓練されているし、準備されている。だから失敗しないし、うまく進んでいく。
でもそれって、『私たちはよく訓練されて準備していますから、神様はいなくて大丈夫です。神様が来ると混乱が起きて面倒くさいんで、外で待っててください』みたいな、独善的な態度なんじゃないかと思うんです。
イエス様がおられた時にやっていた教会は、全く違っていました。どこであろうと人々が集まってきたら、そこが教会でした。それは形式的でもなければ、習慣化しているモノでもなくて、キリスト=救い主の命の力を発する場だったと思います」
キリスト教伝道に生涯を捧げ、新約聖書の多くの書簡を書き残した使徒・パウロは、“回心”を遂げるまで、キリスト教徒を嫌い、迫害を進める急先鋒の1人だった。
中村牧師も30代で洗礼を受けるまでは大のキリスト教嫌いで、キリスト教徒の胸倉をつかみ、壁に打ち付けたこともある荒くれ者だった。そんな彼が回心したきっかけは、アフリカで中国人スパイに間違われ、処刑されかけた“命の危機”だった。
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