「生命がどこにもない、非常にショッキングな光景でした。怖くなるかと思いきや、なぜだか顔がニヤけてきたんです。不思議な安心感というか、俺はあるべくしてここにあるというか……後付けですが、俺はもしかしたら生まれて初めてあそこで神に出会ったのかもしれません」
気温は50度を超え、見渡せば360度地平線が広がり、風も音もない荒野。乗り捨てられた車の残骸を時々目にするだけで、草木や水も一切ない。
アフリカ・アルジェリアからマリへ向かう、サハラ砂漠の光景だ。
サハラとはアラビア語で「何もない」という意味。砂漠といえば黄色い砂が集まった砂丘のイメージがあるが、2週間トラックで走り続けて降り立った地は、「小学校の校庭がどこまでも広がるような、固まった土の地面の上に小石がまばらにあるだけ」の乾いた平原だった。
当時20代で、無神論者だった中村透牧師(68)は、そこで初めて“神の息吹”を感じていた。(全2回の2回目/前編を読む)
「宗教嫌いだった」過去…ウガンダで中国人スパイと間違われて
「酒場牧師」を標榜し、新宿・ゴールデン街で“説法”を約10年続ける中村牧師。
今でこそキリスト教の伝道に励む日々だが、元々身内にキリスト教徒がいたわけでもなく、洗礼を受けるまでは大の宗教嫌いを自認していた。中村牧師が70年代に早稲田大学に在学していた頃には、革マル派が顔見知りの学生を殺害する事件が起こり、ある宗教団体が遺族の金を騙し取るのを見て、「宗教なんて薄汚ねえ」と思い、ますます敵意を募らせていった。
そんな宗教嫌いの若者が、神を信仰する転機となったのがアフリカだった。
中村牧師は大学卒業後、長距離トラックの運転手をして半年で100万円を貯め、日本を出国。アジアを1年間放浪した後、冒頭のサハラ砂漠などアフリカ諸国を旅するが、そこで命の危機に遭遇する。タンザニアと交戦中だったウガンダで中国人スパイと間違われ、秘密警察にスパイ容疑で逮捕されてしまったのだ。
「ある日秘密警察の尋問にあい、中国人スパイに間違われたんです。パスポートを見せると『スタンプが日付順になっていないから偽物だ!』と言いがかりをつけられ、彼女から日本を出る時にもらったオルゴールを『これで本国と通信しているに違いない』と難癖つけてきましてね(笑)。当時、タンザニアは社会主義国で中国と関係が深く、実際中国人スパイもいたようです。結果的に秘密警察の200人ぐらい政治犯がいる牢屋にぶち込まれました。
命の危機の直前で何度も救われた
本当に処刑される直前のヤバい状況だったようですが、現地人の協力で何とか秘密警察の監視を潜り抜けて、大統領とコネクションのある日本人商人に手紙を出すことができ、釈放されました。出国するまでの間も、1km毎に軍の検問所でこめかみに銃口を突き付けられ、小便ちびりそうでしたよ。安全装置を外す度に頭がい骨に響き渡った音は、今でも忘れることができません。