彼のもつ力をぼくらはいまでも信じている
あれから3年半の月日が流れ、ボル神や涌井は去り、伊志嶺&岡田もユニフォームを脱いだ。
あの年始まった井口マリーンズは、2年連続の2位とようやく優勝に手が届くところにまでは来たけれど、開幕して約1ヵ月が経った22年シーズンは、目下、ボル神以来の“神”となった頼みのレオネス・マーティンが絶不調。重度の「あと一本が出ない病」への打開策を見出せないまま、GWへと突入した。
もっとも、荻野貴司も、角中勝也もいない打線が、助っ人外国人勢頼みの状況にあることはある程度、覚悟できていたこと。少しぐらい負けが込んでも揺るがないメンタルは、いろいろあった2010年以降の浮き沈みで、さらに磨きをかけてきたつもりだ。
でも、「頂点を、つかむ」とカッコよく宣言したはずのチームが、「優勝は目指さない」と言ったビッグボスに足をすくわれるのはやっぱり、なんか嫌なのだ。負けるにしたって、負け方ってものがある。同じ負けるなら、本塁打数と三振数がリーグでもダントツのファイターズの“のるかそるか”みたいな戦いっぷりのほうが、まだいくらかストレスも少ないのでは? とさえ思えてくる。
マリーンズのチーム本塁打は、現時点でわずかに9本。なにもホームランがすべてだとは決して思わないけれど、現状、打線に関しては、リードオフマンとしてそれなりに結果を残す髙部瑛斗と、3本塁打の山口航輝ぐらいしかポジれる要素がないのは、いかにもさみしい。
そりゃあ、佐々木朗希の完全試合は狂喜乱舞だったし、あんな奇跡的な瞬間もそうはない。
ただ、その2日前。平沢大河、安田尚憲、藤原恭大の3人がスタメンでそろい踏みして、石川歩&佐々木千隼で完封したあの一戦だって、得られた多幸感はかなりのもの。実質的に打率2割前後の“どんぐりの背比べ”が続くのなら、よりロマンのある顔ぶれで戦ってほしいと思うのは、たぶんファンの総意でもあるだろう(「おれは違う!」という人がいたら、ごめんなさい)。
たしかに、あの夏、ぼくが心奪われた安田尚憲は、年々緩やかな右肩上がりにはなっているにせよ、覚醒と呼べるまでには至っていない。今年に限っては、イースタンでならやっと一発も出たとはいえ、開幕前に「1軍で通用する打撃をしてこい」と檄を飛ばした井口監督からすれば、まだまだ及第点にはほど遠いというのが実情でもあるのだろう。
けれど、ひとつ確かなことがあるとすれば、彼のもつ力をぼくらはいまでも信じている、ということ。コロコロと変わるフォームからも、試行錯誤をしているのは痛いほどわかる。答えのない暗中模索の日々は、ぼくらの及びもつかないぐらい苦しいに違いない。
でも、申し訳ないが、ぼくらにはすぐにでもキミの力が必要なのだ。迷いが晴れないのなら、声援代わりの手拍子で「お前ならやれる」と何度でも背中を押そう。そもそもキミは、今年発売された選手直筆“座右の銘”タオルに自ら書いていたじゃないか。「不動心」とデカデカと……。
少なくともぼくの心に灯った希望は、あの夏、あの瞬間から変わらない。
だから、焦らず、ブレず、自分のスイングをしてほしい。
あの試合で観たゴジラばりの美しい弾道が、遠からず声援も解禁されるであろうマリンのライトスタンドに突き刺さる。そんな心沸きたつ光景を現実のものにしてほしい。
あのとき1年生だった娘は今年、5年生になった。野球はあいかわらず、ルールもイマイチわかっていないけれど、自分の出席番号と同じ背番号の美馬学と“ミニっち”の特集をテレビで観て以来、「美馬さんが出るなら行ってもいいよ」などと言ってくれるようにもなっている。
「どうよ、あれが安田よ。ホームランってスゴいだろ」。なんて会話が、すっかり小生意気になった娘とできる日がもし来るなら、まさにファン冥利に、親冥利。そして、安田尚憲にならそれが叶えられると、ぼくはいまでも信じている――。
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