2軍施設に隣接するロッテ・浦和工場を見学したら、必ず『パイの実』が64層からできていることに驚いてみせるのがマリーンズに入ったルーキーたちの“お約束”だが、あの夏、小1の娘がすこぶる興奮していたのは、溶かしたてのカカオの苦さと、焼きたての『コアラのマーチ』ビスケットの香ばしさ。それと、回り灯籠のような円筒状の金型に彫られたコアラの絵柄の豊富さだったと思う。
まるで全盛期の松井秀喜を彷彿とさせる美しい弾道
2018年の夏の終わり。初めての夏休みを過ごす娘の自由研究にと、ぼくはロッテ・浦和工場の工場見学に応募した。たしか当時はまだWeb受付はなく、往復ハガキで応募するオールドスタイル。「車では絶対来んな!」(意訳)という注意書きも忠実に守り、外環道なら20分で済む道のりは当然ながら電車移動。子連れで向かう秋津から武蔵野線経由の大回りは、なかなかに骨が折れた。
もちろん、「娘のため」なんて言うのは、半分は建前だ。どうせ行くなら、野球も観たい。事前にイースタンの試合日程をバッチリ調べあげ、見学希望日にはすべて、浦和球場で試合が組まれている日を選んで記入した。なにしろ、『パイの実』が64層からできている事実は、もう耳にタコができるほど刷りこまれている。残る問題はひとつ。野球に1ミリも興味がないうえに、すぐ「疲れた」「もう歩けない」などと言いだす娘の足を、いかに球場へと向けさせるか、だ。
かくして、無事に見学を終えたぼくは、近所で軽く昼食を済ませ、球場裏手の児童公園でひとしきり遊んでから、「アイス買ってやるから」などと言いくるめた娘とともに、一路、ライオンズ2軍との対戦が待つ浦和球場へと、どうにかこうにか向かうことになった。
途上では、この年、まさに神がかり的な11連勝をマークした“ボル神”ことマイク・ボルシンガーが誰かと電話しながら横を通りすぎていったし、いざ球場に着いてみたら、先発のマウンドにはまさかの大エース・涌井秀章(現・楽天)が立っていた。その時点で内心はもう、かなりアゲアゲだったが、そこはお父さんの威厳もあるので、キョトンな娘の隣で極力平静を装ってみせる。
だが、グラウンドには伊志嶺翔大や、結果的にはこの年がラストイヤーになった岡田幸文もいたし、なにより4番にはゴールデンルーキー・安田尚憲が座っているのだ。2軍戦とは思えないほど豪華なメンツがそろったこんな試合がタダで観られる状況に「落ち着け」と言うほうが無理というもの。
試合が始まる頃には「暑い」「死にそう」とすでに文句タラタラだった娘をそっちのけに、気がつくとぼくは、マウンドで“格の違い”を見せつける涌井に、そしていちばんのお目当てだった彼、安田の初めて生で観るたたずまいの凛々しさに、ただただ見惚れていたのだった。
そして、4回裏。そのときはやってきた。相手先発ファビオ・カスティーヨから安田が放った打球は、“アーチ”と呼ぶには鋭すぎる、まるで全盛期の松井秀喜を彷彿とさせる美しい弾道で、スタンドなんて大層なものはない簡素な浦和球場の右中間“ネット”に突き刺さった。
その頃、2軍で絶好調だった彼の、それが3試合連続となる第10号ホームラン。
球場脇の自販機で買った『クーリッシュ』の効力が早くも切れたかたわらの娘が「もう帰りたい」を連呼したせいで、結局、5回と保たずに球場をあとにすることにはなったけど、ルーキーらしからぬ豪快な一発に心を奪われたぼくは、長くマリーンズに立ちはだかる“大松尚逸の壁”を超えるであろう逸材の出現にすっかりウッキウキ。グッズグズな娘を「帰りに(武蔵浦和にロッテリアはもうないので)マックでシェイクでも飲むか?」とさらに甘やかしつつ、ふたたびの武蔵野線で、長い帰路に就いたのだ。