「名門」の知られざる“歩み”
東大合格ランキング40年以上1位の開成の設立は1871年。実はもともとの校名は「共立(きょうりゅう)中学」だった。現在の岸田文雄首相が開成初の内閣総理大臣だといわれているが、実は共立中学時代の卒業生に岡田啓介がいる。
1970年代に東大進学者数で頭角をあらわす。学校群制度の導入で都立高校が不人気になったこと、高校紛争で都内の別の私立進学校が荒れたこと、学校の目の前に西日暮里駅ができたことの3つが重なり、風が吹いた。
愛知の東海はもともと浄土宗の僧侶を養成する学校として1888年にできた。東京の芝の弟分に当たり、いまも移住による転校生を相互に受け入れるならわしがある。1910年に一般生も受け入れる旧制中学になった。
麻布は1895年に東洋英和の男子部が独立したもの。1899年に宗教教育を禁止する訓令第12号が発出すると、やむなく教会とのつながりも断った。要するにもともとはプロテスタントの学校だったのだ。
1970年前後には高校紛争で荒れた。中学校も含め38日間のロックアウトが行われ、最後は生徒たちが校長代行を取り囲み、その座から引きずり下ろした。
埼玉県立浦和は、1896年の創立。実はこの以前の約10年間、埼玉には中学校がなかった。埼玉は大隈重信の立憲改進党の勢力下にあったが、明治14年の政変で大隈が失脚した翌年、鹿児島出身の県令(県知事)がやってきて、立憲改進党の下でつくられた中学校をつぶしてしまったのだ。藩閥による嫌がらせの末、ようやくできたのが、のちに浦和高校となる埼玉県立第一尋常中学校だった。
西洋文化に迎合する社会へのアンチテーゼとして生まれたのが熊本の済々黌。1882年の紀元節に政治結社紫溟会によってつくられた。つまりもともとは私立だった。県内には公立の旧制中学もあったが、なんと紫溟会が政治の力でつぶしてしまい、済々黌は私立でありながら特例的に旧制一中の扱いを受けることになる。1900年には国から中学校令が出され、特例が認められなくなり、県立に移管した。