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「見てくれ、これだけ手が動くねん」“機能回復は絶望的”と言われ、妻も“寝たきり”を覚悟…46歳内科医の劇的な回復を支えた意外な人物

『あきらめない男 重度障害を負った医師・原田雷太郎』より #2

2022/04/26

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 読書, 医療, 働き方

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「その頃は雷太郎との連絡も途絶えがちで、彼が糖尿病になっていたことも知らなかったんです。すぐにでも見舞いに行きたかったのですが、こちらも一番忙しい時期でどうすることもできない。そうこうするうちに飛騨の病院に移ったという知らせが来た。リハビリ病院ならまだしも、飛騨市民病院は急性期病院。おそらくは雷太郎の元勤務先ということでの特例措置なのでしょうが、本来ならあり得ない転院です。雷太郎が社会復帰を望むのであればそこにいてもメリットはないし、彼の置かれた立場を考えると、肩身の狭い思いをしているのではないか、と思いました」

 糸田の言う通り、リハビリ病院で機能回復訓練をしていた者が急性期病院に転院するというのは、一般的な医療提供体制の流れに逆行する。特例措置だとしても、長くそこに留まることは不可能だ。事実、病院ではその時、原田の受け入れ先を探していた。

 もちろん急性期病院で行える機能回復訓練の内容は、リハビリ専門病院とは比較にならない。大きな回復は望めない。しかも、そこでの入院期間の限界を迎えたら、次の受け皿は老健施設か介護施設になる。そうなれば社会復帰はほぼ不可能だ。いずれは寝たきりの生活を強いられることになる。

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友情が糸田を動かした

 富山に出張する用事ができた糸田は、大阪を発つ前に自分の勤務するリハビリ病院の院長に事情を話し、原田を受け入れる準備を整えていた。富山での仕事を早めに切り上げて、飛騨の原田を見舞ったのは2011年2月3日の昼過ぎのことだった。

 一時間ほど世間話をしたところで、糸田が切り出した。

「ぶっちゃけ、どうやねん。ここはお前の状況を改善できるところやないやろ。女房や子どもの近くがいいのはわかるが、一度大阪に来て本格的にリハビリをやってみないか。ちょっと考えてみろや」

「来てみないかって、行ったところで入れるのか?」

「ちゃんと院長に話してきた」

 久しぶりに会う旧友の深い友情が、原田の心を動かした。

 大阪に帰った糸田に向けて、原田はすぐにメールを送った。