内科医の原田雷太郎さんは46歳の時、自宅の階段から転落して大けがを負い、首から下の機能の大半を失った。職場復帰は不可能と思われたが、苦しいリハビリを耐え抜き、今では新潟県上越市の「サンクス米山」という介護老人健康施設で施設長を務めている。

 ここでは、重度の障害を負っても医師として生きることを“あきらめなかった”原田さんの挑戦に迫った『あきらめない男 重度障害を負った医師・原田雷太郎』より一部を抜粋。事故直後「機能回復は絶望的」と診断された原田さんのリハビリと、それを支えた周囲の人々のサポートについて紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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 高志リハビリテーション病院に移った時点で原田に残されていた「首から下の機能」は、右手の親指がほんのわずかに動く──というものだった。それでも、リハビリが功を奏して、そんなわずかな機能を「補助具を使いながらも、どうにか食事ができる」というレベルまで戻すことができていた。これは原田にとって“劇的な回復”と言える。

 傍から見れば、大掛かりなスプリングの器具で腕を吊り、わずかに動く親指を器用に使って食べているだけに見えるが、じつはこれも、医師として復帰する上で重要なことだったのだ。

 すでに書いた通り、事故が起きて富山大学附属病院に担ぎ込まれた時、原田は「機能回復は絶望的」と診断されていた。医師としての復帰などあり得ない状況だったのだ。それでも、高志リハビリテーション病院で原田を担当した臨床工学士の大島淳一から、「何を目標にしましょうか」と訊ねられた時、原田は迷わず答えた。

「医師としての仕事に戻ること」

 原田の要望を聞いた大島は、電子カルテの文字盤のようなソフトをどこからか入手してきてくれた。これを使えば、薬を処方する、検査の指示を出す、といった「医療行為」を想定したリハビリができるだろう、と考えたのだ。

 その時点で原田は右手親指一本ではあるが、パソコンを使うことはできていた。そこに大島が調達してきたソフトが加わったことで、原田は一気に「医療行為」を視野に入れた機能回復訓練に進むことができたのだ。