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「見てくれ、これだけ手が動くねん」“機能回復は絶望的”と言われ、妻も“寝たきり”を覚悟…46歳内科医の劇的な回復を支えた意外な人物

『あきらめない男 重度障害を負った医師・原田雷太郎』より #2

2022/04/26

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 読書, 医療, 働き方

note

「行くわ」

「家族に相談したのか」

「大丈夫や」

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「わかった。じゃ、気合い入れて行こうや」

 2月28日、原田は飛騨から大阪のわかくさ竜間リハビリテーション病院に転院した。糸田が原田の病室を訪ねてからわずか25日後のことだった。

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「見てくれ、これだけ手が動くねん」

 わかくさ竜間リハビリテーション病院への転院は、原田にとってまさに「渡りに船」だった。もちろん、家族と離れることへの不安はあったが、代わりに一番の親友である糸田がいる。そして、自分の社会復帰を真剣に考え、サポートしてくれるリハビリの専門家たちが待ち受けてくれるのだ。不安よりも期待のほうがはるかに大きかった。

 そして、大阪でのリハビリは、原田が期待した以上の成果を見せ始めた。ここでは、富山で行っていたものよりもさらに強化したリハビリのプログラムが組まれた。それは紛れもなく「社会復帰」を視野に入れたものだった。

 当時の原田は体幹の弱さが目立っていた。体幹が弱いと、座っていても姿勢が崩れるので褥瘡ができやすい。そこで、まずは体幹強化訓練を徹底して行うことになった。糸田が振り返る。

「仰向けに寝て膝を曲げた状態の雷太郎の足を介護士が押さえ、その手を押し返すようにして脚を伸ばす訓練を、雷太郎も介護士もくたびれ果てるまで繰り返すのです。リハビリに当てられる時間には制限があります。そこで私が『歯科治療が必要』という診断を下し、そのために確保した時間を使って、実際には体幹の強化を行ったりしていました」

 こうした機能回復訓練は、原田にとって決してラクなものではなかった。しかし、その苦労は目に見える成果を挙げてもいた。事故のあと、意識が戻ってからも右手の親指をわずかに動かせるだけだった原田が、この病院で必死にリハビリに耐えた結果、介助を伴いながらも立つことができ、短い距離をゆっくりと歩けるまでに回復したのだ。

 糸田が続ける。

「私が飛騨の病院を訪ねた時、雷太郎はこう言ったんです。『見てくれ、これだけ手が動くねん』。つまり、手しか動かせなかったのです。そんな雷太郎が自分の力でイスに座り、介助をしてもらいながらも立って歩けるまで回復した時は、やっぱりうれしかった。無理して大阪に引っ張って来てよかったと思いました」