“ちょっと変”や人の心の闇を見逃さないアンテナ
だが、のんきだ悠長だと語る先生の視線は常に鋭い。
数あるブラック・ユーモア短編の中でも最高傑作と筆者が信じて疑わない、A先生もお気に入りという作品に『明日は日曜日そしてまた明後日も……』(’71年)という読み切り作品がある。
新入社員初出勤1日目にしてしくじり(出社できず)、出社拒否。以来、自宅に引きこもってしまう主人公・田宮坊一郎の日常を描いた作品で、タイトルでネタバレ気味とはいえ、やはり衝撃のラストはトラウマ的。それこそ“ひきこもり”や“ニート”といった言葉も概念もない時代に、こんな黙示録的な作品を描かれたA先生の先見の明には今さらながらに驚かされる。
「ちょっとしたきっかけで学校や会社に行けない人なんてのは、僕の子供のころからいたんですよ。でもなんとなく将来的にはこういう人が増えていくんだろうな……とは思って描いたんだけど、まさかここまで(の社会問題)になるとはねぇ」
と、語る先生のアンテナ感度のすごさにはもう脱帽するしかない。
何気ない日々の中のズレ、“ちょっと変”や“奇妙”に敏感に反応する藤子A先生アンテナは、実はしかと未来を見据え、社会問題や人間の心の闇を“深掘り”する天才的感性だった。「尊敬する人物は手塚治虫先生と藤本君」と明言してやまなかった藤子不二雄A先生。
A先生は「藤本君は、ずっと少年の心・視線を持ち続けたから『ドラえもん』のような漫画が描けたんだ」と分析されていたが、反対にA先生は大人目線から少年・少女たちを描いていたように思う。ゴルフや麻雀などのギャンブル、それこそ性風俗的なものまでA先生の漫画には登場する。時としてそんな大人の世界に踏み込んでドギマギしたり痛い目にあったりする少年・少女主人公も、先生の作品にはよく登場した。
F先生が、常に主人公の視線や心情を通して物語を描いていたのに対し、A先生は、半ば客観的・ドキュメンタリーチックに主人公の行動自体を描いていた。人間の内面を深掘りして描くF先生、様々な人間を外側から客観・傍観視して問題を浮き彫りにするA先生。この対照的な作風だからこそ、逆に長年コンビを組むことができたのだろう。そして、その相方に対して「心から尊敬する」と言える先生もまた、“天才は天才を知る”という天才のおひとりだったのだ。
他にも、かつて漫画家を志す者のバイブルだった『まんが道』(’70年)や映画化もされた『少年時代』(’78年/柏原兵三の小説『長い道』を漫画化)等、先生を語るべきタイトルやキーワードは尽きない。
だが今は、天国で藤子・F先生と再会。コンビ再結成、もしくは改めてソロ活動で頑張ろう、と誓い合うお二人の姿を夢想して、またひとり去った“昭和の偉人”を偲びたい。
(※2023年1月編集部注:藤子不二雄Aさんご命日はのちに4月6日となりました)