昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「底意地の悪い福の神がいたら面白いよね?」に藤子不二雄の二人が出した回答は…天才・藤子不二雄Aの“らしさ”とは?

2022/04/09

 漫画『忍者ハットリくん』(’64年)や『笑ゥせぇるすまん(連載時は黒ィせぇるすまん)』(’69年)などで知られる藤子不二雄A(安孫子素雄)先生が、去る4月7日(木)に亡くなった。享年88。子供のころから慣れ親しんできた憧れの漫画家先生の訃報を耳にするのは、やはり悲しい。(※編集部注:藤子不二雄Aさんの「A」は○の中にA)

 昭和42年生まれの筆者も、例外なく入り口は“藤子不二雄”先生名義で、藤本弘・安孫子素雄両先生の合同ペンネームである事実を早い時期に知った。

藤子不二雄として活躍した藤子・F・不二雄(左)先生と藤子不二雄A先生 ©文藝春秋

 尊敬する手塚治虫先生にあやかって、デビュー当初は“足塚不二雄”なるペンネームで漫画を発表したお話なども、お二人の手塚先生へのリスペクトが大いに感じられて、微笑ましいエピソードと受け留めた。

 そのお二人が長年のコンビを解消し、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄としてめいめいソロ活動されることを発表されたのが1987年。

 お二人の作風は異なっていた。もちろん両先生の作品はどちらも好きだし、優劣など決められない。ただ“全然別物”であることだけは事実だろう。

 かくいう筆者も子供のころ、『怪物くん』(’65年)や『新オバケのQ太郎』(’71年)、『魔太郎がくる!!』(’72年)や『ドラえもん』(’69年)の作風の違いに違和感を覚え、極めつけは『せぇるすまん』や『夢魔子』(’70年)と『エスパー魔美』(’77年)の絵柄・世界観の隔たりに「これ絶対、別々に描いてる!」と、確信したものだった。

 以下では、筆者が生前、取材などでお伺いしたエピソードをご紹介しながら、A先生のお人柄を紐解いていきたい。

耳に残った「ホーッホッホッ」

 藤子A先生は1934年、富山県氷見市の光禅寺のご住職の息子として生まれた。小学生のころから漫画家を志し、当時の同級生だった藤子・F・不二雄(藤本弘)先生の強い誘いもあり、二人で上京。