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【追悼】「手塚先生が僕の描いた“吹雪”を気に入ってくれた。いまだに嬉しくてしょうがないんですよ」 藤子不二雄(A)が語る“兄弟のような”トキワ荘の漫画家たち

【追悼】「手塚先生が僕の描いた“吹雪”を気に入ってくれた。いまだに嬉しくてしょうがないんですよ」 藤子不二雄(A)が語る“兄弟のような”トキワ荘の漫画家たち

藤子不二雄(A)さんインタビュー#1

2022/04/07

『忍者ハットリくん』などで知られる日本を代表する漫画家の藤子不二雄(A)(安孫子素雄)さんが2022年4月7日、川崎市内の自宅で亡くなったことがわかった。88歳だった。

 藤子さんは『忍者ハットリくん』や『怪物くん』から、『笑ゥせぇるすまん』まで幅広いジャンルの作品を生み出してきた日本を代表する漫画家の1人。その創作のスタートである「トキワ荘」について語った記事を、ここに再公開する(初出・2021年7月7日)。

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 2021年7月7日、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムが1周年を迎えた。トキワ荘とは、1950年代に手塚治虫、藤子不二雄(安孫子素雄、藤本弘)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫といったレジェンドクラスの漫画家がほぼ同時期に住んでいた、“漫画の聖地”とも呼ぶべき木造2階建てアパート。場所は東京都豊島区椎名町(現在の南長崎)。手塚以外は当時まだ駆け出しだった。このアパートを建物ごと再現し、さまざまな企画展示を行っているのが同ミュージアムである。

 当時の様子は、藤子不二雄(A)(安孫子素雄)の著書『まんが道』や、その続編『愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春』に詳しい。また、本木雅弘演じる寺田ヒロオを主人公にした映画『トキワ荘の青春』(監督:市川準、1996年公開)のデジタルリマスター版がこの2月に劇場公開されており、9月にはブルーレイ版発売が控えている。

 映画劇中で登場するトキワ荘メンバーの多くは、既に鬼籍に入っている。存命なのは、藤子不二雄(A)、鈴木伸一、水野英子、そしてトキワ荘によく出入りしていた、つのだじろう。この4人だけだ。そのひとり藤子不二雄(A)に、70年近く前の記憶を掘り起こしてもらった。(全2回の1回目。後編を読む)

藤子不二雄(A)氏 ©藤子スタジオ

手塚治虫の置き土産

藤子不二雄(A)(以下(A)) トキワ荘は、今から考えると変なおんぼろアパートなんですけど、当時はできて間もない頃だったこともあって、最初に訪れた際にはたいそう感動しましたよ。そもそも僕、アパートというものを初めて見たんです。トイレは共同、風呂もない。共同炊事場の両サイドにガスコンロがあって、みんなそこで料理をしていました。

――1954年、手塚治虫の住んでいた2階の14号室に、藤子不二雄のおふたりが入居します。

(A) 上京してしばらくの間、藤本氏と僕は、両国にあった僕の親戚の家に下宿してたんです。すると手塚先生が、トキワ荘を引き払うから、君たち入らないかと言ってくれて。飛び上がるように喜びました。家賃は月3000円。それはいいとして、敷金が3万円もかかると聞いて困ってしまったんです。

――当時としては、相当な大金ですね。

(A) 僕たちにはとても都合できません。とはいえ、手塚先生にお金がないですなんて、恥ずかしくて言えない。だからお金のことは伏せ、「下宿に1年間いる約束なので、引っ越せません」と言いました。すると、察してくれたんでしょうね。「君たち、もし3万円を心配しているなら、僕が敷金をそのまま置いておくよ」って。また飛び上がって喜んでね。それで入居することができました。