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「ごっつい火や。こりゃ、家は全焼するで〜」ガソリンぶっかけ男VSリーゼント刑事、死を覚悟するほどの猛火に囲まれても生存できた理由

『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』より #3

2022/04/20
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 周辺が夜の帳に包まれた午後9時頃、家のなかから突然ガサゴソという物音が聞こえてきた。犯人の拘束から逃れた人質が、トイレの窓から脱走したのだった。

「人質が逃げた! いまがチャンスや!」

 ワシらは瞬時の判断で窓ガラスを割り、室内に突入した。そこには出刃包丁を右手首に巻き付けた男がいた。男はあっという間に距離を詰め、出刃包丁を頭上まで振りかぶってワシに斬りかかって来た。

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「アカン、これは死んだ」

 咄嗟に手刀で受けたが、出刃包丁が迫り、「アカン、これは死んだ」と観念した。

 だがその時、別の捜査員が男の下半身に渾身のタックルをかまし、仰向けに倒した。直後に大勢の捜査員が部屋に雪崩れ込み、男の身柄を確保した。ワシはここぞとばかり、“バシャーン”と思いっきり犯人の手首に手錠をかけてやった。

 一命をとりとめたのはよかったが、若い捜査員たちが雪崩れ込む際、倒れていたワシの背中をドスドス踏んでいきよった。あまりの痛さに「オイちょっと待て! 下にワシがおるんじゃ……」と叫んだつもりだったが、捜査員たちには届かなかった。

 それにしても、捜査員のタックルがコンマ何秒遅れていたら、ホンマにワシはあの世行きやった。よく言われるように、死の危機に瀕してそれまでの思い出が走馬灯のようによみがえることはなかったが、あの時の包丁男の動きはいまでも、スローモーションビデオのように鮮明によみがえる。まだ生きとるんやが……。

ガソリン入りのポリタンクを持った男が…

 その数か月後、またしてもとんでもない事件が起きた。

 今度は包丁とガソリン入りのポリタンクを持った男が、中年女性を人質に立てこもっているという。ワシは消防にも出動を要請し、現場に急行した。

 現場はやはり、平屋の一般住宅だった。窓のカーテンはすべて閉められ、玄関は施錠されている。ワシはその場で待っていた被害者の親族から部屋の間取りを聞き、玄関先から「徳島東署の秋山です。誰かいたら返事をしてくれますか。コトを大きくしたくないので、相談に乗りますよ」と声をかけて説得を始めた。

 それから1時間ほどすると、人質の中年女性が玄関からよろよろと出てきた。駆け寄って話を聞くと、立てこもっているのは女性の元交際相手の65歳男性。包丁とガソリン入りのポリ容器を持参して女性のもとに現れ、鬼の形相で復縁を迫ったのだという。

 女性がスキを見て自力で脱出したので、部屋のなかには男がひとりでいるはずや。ワシらは男の名前を呼びながら家のなかに踏み込み、室内を隈なく確認した。だが、人の気配は感じられない。居間の掃き出し窓がわずかに開いて、カーテンがかすかに揺れているのを見て、男が逃走したものと理解した。

 念のため、もう一度屋内の隅々まで誰もいないことを確認するよう部下に指示を出し、「犯人は窓から逃走中。全員捜索願います」と無線で報告した。張り詰めた緊張感が少し緩んだその瞬間だった。居間の隅にあるタンスのトビラがバーンと開き、なかからガソリン入りの赤いポリタンクを持った男が勢いよく飛び出してきた。

「近寄るな! ワシャ、死ぬんじゃ! もうどうなってもいいんじゃ!」

 自暴自棄になった男はそう叫び、ガソリンを部屋と自分の体にドバっとぶちまけた。