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連載大正事件史

「月経を順調にするためには座薬を挿入する必要が…」エリート医師が犯した“16歳の富豪令嬢”への性的暴行…“無罪説”が投げかけた波紋

議論を呼んだセックススキャンダル「大野博士事件」#2

2022/04/10

 第一報が流れた3月3日、大野博士は山手署に召喚されて取り調べを受けた。供述について3月4日付朝刊は、国民新聞が「大野博士 罪状自白す」とした一方、読売は「問題の大野博士 一切を否認」と食い違いを見せた。

大野博士はほぼ一貫して容疑を否認した(読売)

 ただ、「犯行の一部を自白」とした東日も本文の博士の談話では「『今度の事件は全くの誤解だから、5~6日中に文書にして顛末を申し上げましょう』と答弁を渋らせたが、『局部療治をしたのは体を温めるためで、座薬療法は病気に対する最善の方法をとった』と語っていた」としており、実質的には否認ととれる。

 その後の予審(当時の司法制度で、起訴後、予審判事が公判に付すかどうかを調べる手続き)段階でも「被害者に対し、恥ずかしめを与えたことを認めるが、これは被害者の了解を得た後で、堕胎の手術(措置)を行ったのは、被害者の体が悪いからで、医師としては当然のことである」と述べ(3月15日付都新聞)、公判でもほぼ同様の主張を続けた。

 3月4日の読売は、六女が「今後職業婦人となって社会に立ち、一生独身を続けたい」と両親に涙ながらに話したと報じた。

 彼女への同情に、犯情の悪さと発覚後の態度も加わって、新聞の大野博士に対するバッシングはさらにエスカレートしていった。

 3月4日付東朝朝刊は「博士は3日午後上京して以来いまだに帰宅せず、某々有力者に依頼してもみ消し運動に奔走中である」と書いた。

 のちに正式に弁護人になる花井卓蔵弁護士にいろいろな依頼をしたようだ。花井は足尾鉱毒事件や大逆事件の弁護活動に当たった人権派弁護士で、国会議員にもなり、衆院副議長も務めた。

もみ消し運動、必死の工作

 3月7日付国民新聞は「博士號(号)を返上し 横濱を立退かう(たちのこう)」の見出しで次のように伝えた。

博士はさまざまな「もみ消し工作」をした(国民新聞)

「大野博士は花井博士に依頼して、もみ消し運動に着手したほか、県会議員、医師・野方次郎氏を介して示談方を小倉氏に交渉しているが、聞くところによると、医師として患者に対して不正行為をしたのだから、全ての公職を去ったうえ、医師を廃業し、博士号を返上して横浜を立ち退くという条件であると」

 刑事訴追を免れるため必死の工作を続けていたということだろう。政治家からも圧力がかかったが、鎮之助の意思は固く、示談に応じないまま3月7日、大野禧一博士は起訴され、収監された。

 3月8日付読売は「大野博士は 昨夜収監さる 強姦傷害堕胎未遂 といふ(う)おそろしい罪名の下に」の見出しで伝えた。

「大野博士は 昨夜収監さる」(読売)

事件は2つのポイントをめぐって展開していく

 同紙には別項で気になる記事が2本ある。1本は「凌辱を適用し得るか」という見出しで次のような内容。

「大野博士が小倉家六女を欺瞞して凌辱した事実は刑法第178条(当時)の強姦(罪)を適用できるかどうかについては、早くも法文の解釈が異なり、目下専門家でもいろいろ議論されている。(横浜地裁)検事局では、今回のような巧妙な?手段と方法で行われた事実がいまだ全国にその例がないので、7日正午、南谷検事正は各検事を自室に招いて緊急会議を開き、法文解釈について意見を交換した。法文の不備による点もあるので、結局本件は大審院まで持ち出され、判決例として将来に残されるだろうと観測されている」