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 もう1本の記事は「性教育を正課に 設けよと議論」。事件が横浜市内の女学校に「一大反響」を与え、「ことに私立女学校間では昨今、にわかに性教育を正科目に設置すべきと議論沸騰し、それだけに今後本事件がいかに解決されるか、注目を引いている」としている。

 記事の通り、法律解釈と性教育の問題はこの事件の最大のポイントだった。

 読売は3月9日付朝刊で「悔悟の大野博士 獄中に『済まぬ済まぬ』と嘆息し 絶食を續(続)く」と収監後の様子を報じる一方、3月17日付朝刊婦人欄では、「婦人の知識者間に 性教育の企て」の見出しで「大野博士の事件から、女学生に性の知識を与えねばならぬということが、同性識者間にも盛んに唱えられるようになった」と指摘。

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婦人欄には、性教育の必要性を訴える意見が(読売)

 東京・至誠堂病院の吉岡房子・副院長の「女学校の上級生に対し、課外講義のように女医が性の話をしたらどうかと思います」という意見を紹介した。対して、3月23日付朝刊では「女學(学)生の性教育は 文部省が反對(対)」の見出しで同省の山内督学官の話を伝えた。

「性教育の可否については十数年前からかれこれ議論があったが、実際性の知識を教え込むことはなかなか至難の業で、その教材の内容、範囲をどうするかということが一番問題である。こういう面倒な問題はややもすると、良い結果よりもかえってみだらな感情をそそるような悪い結果になりやすいから、性教育などはよほどの考えものだろうと思う」

 督学官はさらに大野博士の事件について「女の性的知識の欠陥も悲劇の一原因を成しているらしくうわさしているが、アレはむしろ、女そのものよりも両親がその責任を負うのが至当だろう」とし、次のように締めくくった。

「文部省としては、現在の生理衛生で教えている程度以上にはその必要を認めない。私は性教育よりも、むしろ中学校の上級生か高等学校辺の生徒に性病の恐ろしいことを教えるのが今日の急務でなかろうかと考える」

 あくまで男性主体の考え方で責任を家庭教育に押しつける、あきれるほどの“役人根性”。いつの時代も変わらないというべきか。

「集まった人々の中からは、盛んに大野博士を弁護する言葉も出た」

 読売は4月23日付朝刊から2日続きで海軍少佐夫人の「私の家庭で行ふ(う)性教育の實(実)際」を掲載したが、内容は男女共学の勧めなど、性教育とはとてもいえないようなもの。督学官が両親の責任に言及したように、大野博士よりむしろ被害者や家族の態度を批判する声は一部に根強くあったようだ。

 3月27日付読売朝刊の「大野博士事件に鑑み風紀調査委員会を置く」は医学士会の定時総会を報じた末尾で「集まった人々の中からは、盛んに大野博士を弁護する言葉も出た」と記述した。

 3月31日、予審で公判に付されることが決定。大野博士は保釈された。