元AV女優の澁谷果歩さんは、青山学院大学卒業後、東京スポーツ新聞社に就職。記者として主にプロ野球の取材を担当した後に退社し、2014年11月にAVデビューを果たした。

 そんな彼女に、学生時代やデビューするまでの経緯、両親との関係性など詳しく話を聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)

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4ヶ月で父親にバレる

――先ほど、厳しい家庭だったとおっしゃっていましたが、ご両親にはAV女優になることを話していたのでしょうか。

澁谷 いえ、最初は黙っていました。特にうちの親は私を縛り付けるタイプだったので、言ったら反対されると思って。

 でも、すぐに意外なところから父親にバレたんですよね。その時はデビュー作を撮影してから4ヶ月くらい経っていたので、正直に「これからAV女優として活動を続けていきたい」と言ったら、両親から「今すぐやめて、海外や田舎に行って生活してくれ」と言われました。

澁谷果歩さん

――全く受け入れてもらえなかった。 

澁谷 もともと私は両親が苦手なんです。虐待されていたとかではないんですけど、理解できない部分が多かったので。お見合いさせられたり、帰宅時間が遅いと何度も連絡してきたり、私の生活全てに口出して、コントロールしてくる人でした。休日にどこで誰と会い何をするか、相手が男性の場合は友人であっても出身・学歴・収入まで事細かに聞かれましたし、タクシーチケットを渡されるので終電を理由にした朝帰りは絶対にNGでした。

 両親の思い通りに生きないと気にくわないんですよね。社会人になっても帰宅時間を管理されていたり、仕事以外での外泊はNGだったり、かなり厳しい家庭でした。他の家と比較できなかったので、それが当たり前だと思っていました。

 でもある時、「あ、うちは普通じゃない」って気づいて。AV女優になったことで金銭的に余裕ができたので、一人暮らしを始めました。

 

――ご両親とは今でも連絡を取っているのでしょうか。

澁谷 デビューしてすぐの頃は、何度も連絡が来ていましたが、今は距離を置いています。母は、私のことを心配するわけではなくて、娘がAV女優なんて知られたら恥ずかしいって社会の目を気にしていたんです。だからAV女優をやめて日本から出て行って、早く「澁谷果歩」という存在がみんなから忘れられるようにって。そうすればAV女優の母親ってことがバレずに済むからって。私の体とか気持ちは全く気にしないし、心配しないんですよね。