元AV女優の澁谷果歩さんは、青山学院大学卒業後、東京スポーツ新聞社に就職。記者として主にプロ野球の取材を担当した後に退社し、2014年11月にAVデビューを果たした。
そんな彼女に、学生時代やデビューするまでの経緯、両親との関係性など詳しく話を聞いた。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
大学までは男性との関わり方をあまり知らなかった
――2014年AV女優としてデビューした澁谷さんですが、学生時代はどんな子だったのでしょうか。
澁谷 大人しい子でしたね。一人の時間が好きで、休み時間はいつも図書館にいました。幼稚園から高校までエスカレーター式で、いわゆるお嬢様学校のようなところだったんです。女子に囲まれて育ったので、大学までは男性との関わり方をあまり知らなかったですね。
家も厳しかったので、友達と学校帰りに遊んだりすることもあまりなくて。地味な生活をしていたと思います。
――大学では共学である青山学院大学に進学されるんですよね。
澁谷 はい。でも私の学部は圧倒的に女性の方が多かったので、そこまで男性と関わることってなかったんですよ。内向的だったので、サークルでみんなと盛り上がる経験もそんなになかったです。
辞めることを前提で東スポに入社
――卒業後は、東京スポーツ新聞の記者として働き始めましたが、なぜスポーツ新聞を選んだのでしょうか。
澁谷 就活するときに、メディア系の仕事に就きたいなと思っていて、その中でも男臭い職場が良いなと思っていたんです。今までそういうところにいた経験もないし、女であることが武器になる気がしたので。
あと辞めることを前提で入社したんですよ。女性記者が少ないので、元東スポ女性記者という肩書きがあると、将来的に何か活動をする上で強みになるなと思ったんです。
――実際に働いてみていかがでしたか。
澁谷 野球取材がメインだったのですが、高校までは女子校に通っていたので野球部もなかったし、興味もなかったのでルールも知らなくて。夕刊紙だったので、前日の試合結果を載せるのではなく、ゴシップを取ってこなければいけなかったんです。好奇心旺盛なので、取材に行くことは楽しかったんですけど、知識が追い付いていなかったので裏話を書くこともできなくて。周りについていくのに必死でした。
社内では「あいつ女だから仕事取ってきたな」とか「ニコニコ取材している姿がイラっとくる」と言われたり、野球選手から色目を使われることもありました。それこそメガネをかけただけで、「メガネかけてるのエロいんだよ」とか、野球選手からは「エロメガネ」と呼ばれることも少なくなかったです。そういう時って笑うしかないんですよね。笑いながら「やめてくださいよ~」って言うと、喜んでると思われてどんどんヒートアップしていきました。