事件の中には、その時代にしか起こり得なかったと思われる性格を持つものと、いつの時代にもありそうな性格のものがある。
今回取り上げるのは、博士号を持ち留学経験もあるエリート医師が16歳の富豪令嬢を暴行して妊娠させ、堕胎を図ったという事件。メディアに大きく取り上げられた。
いま起きてもメディアが大騒ぎするだろうと思える半面、令嬢に性の知識が全くなかったことなど、信じられないような側面もある。当時、性教育の必要性をめぐって活発な論議が展開された。一体どんな事件でどこに特異性と普遍性があったのか――。
今回も文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する(被害者のみ匿名)。
「座薬治療の必要がある」と言って…
事件が発覚したのは1923(大正12)年3月。この年は、労働争議、小作争議が多発する中、9月には関東大震災が発生する。大正デモクラシーの時代にかげりが見え始めた時期といえるかもしれない。
記事は3月3日付各紙朝刊に載った。いまでは考えられないが、それだけで事件の全貌が分かる見出しを付けて社会面トップに仕立てた読売を見よう。
醫(医)学博士が處(処)女を辱(はずかし)め 妊娠と知つ(っ)て堕胎薬
横濱(浜)に起こつた大怪事 辱められたは 女学校生徒で群馬水電社長の令嬢
【横浜電話】横浜市青木町字幸ケ谷373、群馬水力電気株式会社社長、小倉鎮之助の五女で横浜・平沼町、県立女学校4年生(19)は、昨年8月以来肺尖カタルにかかったので、横浜市本牧町700、医学博士・大野禧一氏の診断を受けたが、治療中凌辱(性的暴行)され、知らぬ間に妊娠5カ月の身重となった。それを知った博士は堕胎の目的で異物を挿入したのが家人の発見するところとなり、はしなくも横浜医学界を驚かせた事件がある。これを早くも所轄山下署が探知して秘密裏に大活動を開始するに至った。
一審横浜地裁判決によれば、被害者は六女で事件当時は18歳。このころの年齢は数え表記だから、満年齢では16~17歳になる。神奈川県立女学校は現在の県立横浜平沼高校。肺尖カタルは肺結核の初期症状のことだ。記事はおどろおどろしいが、それでも内容が内容だけに筆は重たい。記事は中見出しを挟んで続く。