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男はあっという間に「火だるま」と化した

「おいおい慌てるな! 落ち着け、話し合おう!」というワシらの声に一切耳を傾けず、男はズボンのポケットから取り出したハンカチに100円ライターで火をつけた。

 ボーンという爆発音とともに、気化したガソリンに一瞬で火が燃え広がり、辺り一面が火の海となった。ワシは反射的に犯人を助けようとしたが、間に合わなかった。大量のガソリンを全身にかぶった男は火だるまと化し、ゆっくり1歩、2歩と足を進めて、3歩目でその場にドスンと倒れ込んだ。まるでアクション映画のワンシーンのような光景やった。

写真はイメージです ©iStock.com

 ワシと部下2人は、猛烈な火と黒煙に襲われて逃げ場を失った。一酸化炭素中毒にならないよう床に這いつくばって台所の勝手口を探したが、部屋中に広がった黒煙のせいで視界が悪く、一向に見つけられない。まさに死ぬ思いで避難先を探していると、屋外にいる捜査員たちの声が聞こえてきた。

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「うわ~、これはごっつい火や。こりゃ、家は全焼するで~」「大変です! 秋山係長たちが逃げ遅れて、まだなかにいます!」「なんやと~、これはもうアカン。検視の準備をせい!」

 いやワシらまだ生きとるんやけど……やはりアカンのんか?

部下だけでも助けなければならんのじゃ!

 猛火と黒煙に包まれたワシは命の灯が消えゆこうとしているのを感じ、2人の部下に心のなかで詫びた。

「守ってやれずにスマン。一緒に死ぬ羽目になってしまった。ホンマにごめんな」

 部下のほうに目をやると、2人とも涙目でワシを見つめ返してきた。おそらく、彼らも死を覚悟してたんやろう。

 いよいよダメかもしれない……と思ったその時、台所のほうからかすかな光が差し込んでいることに気がついた。目を向けると、シンクの上に小窓があるのが見えた。 「これは逃げられるかもしれん。死ななくて済むぞ」ーー最後の力を振り絞り、駆け寄って小窓を開けると、そこには鉄格子が設置されていた。万事休すか……いや、まだ諦めるわけにはいかない。部下だけでも助けなければならんのじゃ!

 無我夢中のワシが咄嗟に空手の横蹴りをかますと、ピキッという音がして鉄格子にヒビが入った。そのまま渾身の力を込めて鉄格子を蹴破り、最初に部下2人を屋外に脱出させた。

 よしっ、何とか助かりそうや。ところが、部下に続いて窓から這い出ようとすると、なぜか前に進めない。あれっ? あろうことか、ワシの着ていたハーフコートが折れた格子に引っかかり、動きを封じられていたのだ。「ちょ……ちょっ!」――じたばたしたら何とか格子が外れて脱出できたが、引っかかった瞬間は、この日2度目の死を覚悟するとともに、現場にハーフコートのまま突入した自分を大いに恨んだ。

 あの頃、ワシは自分の命を盾にしてでも被害者の命を守る気持ちでおった。それがワシの生き様であり、刑事魂であるとの揺るがぬ決意があった。だから実際に死にそうになっても、刑事になったことには微塵も後悔はなかった。

 危険な任務に従事する警察官の多くが「一般市民を守るためなら、現場で死んでもいい」という気持ちで活動していることを、みなさんにも知ってほしい。

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