その警察らしからぬ風貌でおなじみの“リーゼント刑事”こと秋山博康氏。2001年に発生した徳島・淡路父子放火殺人事件の際には、見る者に強烈な印象を残した「おい、小池!」ポスターの生みの親である。

 今回はリーゼント刑事にとって特に印象深かった事件を、『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』より一部抜粋。テレビ史に残る「恐喝男との対決」とは?(全3回の1回目/#2#3を読む)

“リーゼント刑事”こと秋山博康氏(筆者提供)

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リーゼント刑事に訪れた「密着取材」の機会

《徳島 泣く子もダマる! 熱血リーゼント刑事》

 こんなテロップとともに、ワシの顔がテレビ画面に大写しになった。ワシがテレビデビューした『大捜査スペシャル! これが日本の名刑事だ』(2002年10月放送、フジテレビ系)のひとコマや。

 テレビ出演のきっかけは、警視庁出向中に出会ったフジテレビのプロデューサーからのこんな申し出だった。

「NHKの『プロジェクトX』のようなドキュメンタリーの刑事版を作りたい。東京から徳島に帰った秋山さんを密着取材させてくれませんか」

 しかし、刑事の捜査は秘匿が大原則や。ただでさえ目立ついでたちのワシが全国放送のテレビに出たら、トレードマークのリーゼントが知れ渡って捜査に支障が出る。依頼はありがたかったが、「アカンアカン、ワシにテレビは無理や」と固辞していた。

 上司も当然同じ意見――と思いきや、テレビ局の依頼を知った当時の県警捜査第一課長はワシに向かって「オイ秋山、テレビに出ろ」と言った。「いや、ワシ出たくないんですけど」「いいから出ろ。ただし、ひとつ条件がある」と捜査第一課長は続けた。

「お前がテレビに出たら、指名手配犯の小池俊一のポスターをテレビでバンバン流してもらうんや。全国から小池の情報を集めるために出演してこい」

 当時はちょうど、「徳島・淡路父子放火殺人事件」が発生した頃だった。小池を逮捕まであと一歩のところで取り逃がしたワシは、刑事生命を懸けて、全国に指名手配した小池を追っていた。

 確かにワシがテレビに出て視聴者に訴えれば、全国から小池に関する情報が集まってくるだろう。ネットやSNSがいまほど発達していない時代、捜査第一課長の「テレビを捜査に利用する」というアイデアには感心させられた。そもそもリーゼントのワシは目立つ存在で、張り込みをしても周囲にバレバレや。「いまさらテレビに出ても捜査に支障はないやろう」との気持ちもあり、テレビ出演を承諾した。