念願の刑事人生がスタートした23歳の新人を待ち受けていたのは、課長をはじめとする先輩たちによる“恐るべき通過儀礼”だった……。
若かりし頃の“リーゼント刑事”こと秋山博康氏が体験した今ではありえない警察の儀式を、『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』より一部抜粋。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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「鳴門警察署捜査係を命じる」――
1984年4月1日、徳島県警鳴門警察署の署長室で辞令書を受け取った。
晴れて鳴門署の刑事となった23歳のワシは、心の底から湧き上がる喜びの気持ちを抑えることができず、何度も何度もB5サイズの辞令書を見返した。
この日のために新調した三つ揃いのスーツで身を固め、頭はもちろん気合いの入ったリーゼント。念願の刑事人生がスタートして、やる気に満ち溢れていた。
しかしこの時のワシはまだ、刑事人生の初日がとんでもなく過酷な1日になるとは予想していなかった。
水死体の腐敗汁
辞令を受け取ってから2階の刑事部屋で挨拶を終え、机の周りを整理していると、突如無線がピピピピと鳴った。
「徳島本部から鳴門署、◯◯地区に水死体発見。直ちに現場へ向かえ!」
勝手がわからず右往左往していると「秋山、お前も行け!」と刑事課長に命じられた。通常、このような現場に出向く時は動きやすい服に着替えるが、その時間もなくスーツ姿のまま先輩について現場に急行すると、確かに水死体が浮かんでいた。
死体は水を吸収するといったん、海底に向かって沈む。数日経過すると腐敗が進んで顔や体がブクブクに膨らみ、海面にボコッと浮き上がる。この時見つかった遺体は顔が通常の1.5倍ほどに膨れて、紫斑で全身が赤や青に変色していた。まさに“ドザエモン”だった。
殺人事件の可能性もある現場なので、下手に動くと手がかりを消しかねない。刑事になりたてのワシは、ひたすら先輩の指示に従って動いていた。先着した先輩が死体を岸壁に引っ張り、ワシともうひとりの先輩がストレッチャーで運搬することになった。
予期せぬアクシデントが発生したのは、遺体を乗せたストレッチャーを「せ~の」と持ち上げた時だった。先輩が勢いよく持ち上げすぎてストレッチャーが傾き、遺体が滑り落ちそうになったのだ。咄嗟に身を挺して遺体の落下を食い止めたら、その反動で水死体の腐敗汁が、ワシの頭から体にかけてドバーッと降りかかった。
「うわっ!」と悲鳴を上げた瞬間、今度は何やら塊のようなものが口になかに飛び込んできた。モグモグして吐き出してみると、溶けてヌルヌルになった遺体の指だった。勢いよく滑った拍子に指がストレッチャーのベルトで切断され、ワシをめがけて飛んできたのだ。