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24時間段ボール生活

 ワシが刑事になった年に発生した「グリコ・森永事件」は日本中を震撼させた。

 当時は徳島でも模倣犯が出現して、鳴門市内の幼稚園の通学路に青酸ソーダを塗った大手菓子メーカーのチョコレートがばらまかれた。その後、「金又栄」と名乗る者から、東京の菓子メーカー本社に現金を要求する脅迫状が郵送されるようになった。

 脅迫状はすべて、徳島県内の板野町のポストから投函されていた。そこで当時の捜査第一課長が「板野町のすべてのポストを24時間監視せよ。車だとバレるけん、車を使った張り込みは絶対に禁止や」との命令を出した。「そんなら、どうやって張り込みましょうか」と問うと、一課長は「そうやなぁ。あ、段ボールや。段ボールのなかに入って張り込むんや」と真顔で言った。ツッコミを入れる捜査員はいなかった。

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 近所の電器店から冷蔵庫を入れる大きな段ボール箱を調達してきた捜査員は、それを郵便ポストの見える空き地や草むらに置いて張り込みすることになった。

 ある捜査員が「ところでトイレはどうするんですか?」と一課長に聞くと、「お前はアホか。カップ麺とポットを準備して、食べ終わったらカップをトイレ代わりに使えばええんや。一石二鳥や」との答えが返ってきた。いまならパワハラと捉えられても仕方のない発言だが、当時の捜査本部ではこんな会話が日常茶飯事だった。

 24時間交代の張り込みが始まった。極寒の冬空のもと、段ボール箱の小さな穴から外を覗き、ひたすら犯人が脅迫状を投函するのを待つ。まるで苦行のような捜査となった。だが段ボールの穴からポストを24時間凝視する作業にはやはり無理があり、多くの捜査員がついついコックリコックリとしてしまう。そのスキにまた脅迫状を投函されて、上層部が「お前ら、何しとるんじゃ!」と激怒した。

 その後の捜査会議で、巡査部長の先輩がおずおずと手を挙げ、「あの~、ポストの近くに監視カメラを設置したらどうでしょうか?」と提案した。それはええ考えやとワシは心のなかで拍手したが、一課長は怒髪天を衝いて、「刑事が機械に頼る? お前、何を考えとるんや、このドアホ!」と叫んだ。監視カメラを提案した先輩――それが原因か知る由はない――次の人事異動で田舎の駐在所に飛ばされてしまった。

 寝ずの張り込みなんてナンセンスな捜査だが、昭和の時代はペーペーが上層部に意見を言えるわけがなかった。この脅迫事件も結局、迷宮入りとなってしまった。