捜査本部は常に緊張感に包まれており、ワシもピリピリしたムードに呑み込まれていった。銀行強盗事件で容疑者の前科照会をした際、相手の対応の遅さに苛立って「おい、遅いぞ! こっちは捜査本部事件の照会や」と口にしてしまったこともある。すると、憧れの存在でもある捜査第一課長から呼び出されて「いまの電話対応は0点や」と注意された。
「お前は刑事失格や。刑事というのはな、相手を怒らせたらあかん。相手が話しやすいように対応しろ。刑事の仕事は機械相手やない。被疑者も被害者も目撃者もみんな人間やぞ」
刑事が扱うのは人間。相手の心を開き、懐に入り込む会話力が何より重要や─憧れの捜査第一課長の教えは新米刑事のワシの心に突き刺さった。
そんなこともあり、ワシは「人が1年かけて覚えることを1か月で習得してやろう」と決意を新たにした。半年ほど官舎に帰らず鳴門署の道場で寝泊まりしたのは、夜中に先輩の報告書や書類をこっそり読んで仕事を覚えるためだった。
犯人が「自分とウリ二つ」だった事件も
寝る暇も休む暇もなかった新米刑事時代、ワシは数多くの事件に遭遇した。
深夜、徳島市内のラブホテル従業員から「窃盗犯が侵入した」との110番通報があった。犯人は、現場近くの駐在所から駆けつけた警察官をナイフで刺し逃走した。
幸い命に別状はなかったが、刺された警察官は現場に到着した別の署員にこう証言した。
「犯人は捜査第一課の秋山刑事によく似ていた。秋山に刺されたのかと思ったほどや」
深夜に官舎の電話が鳴り、叩き起こされた。寝ぼけ眼で受話器を取ると、開口一番こう言われた。「秋山、寝とったんか。あ~よかった。実はいま、強盗殺人未遂事件が起きてな。犯人はお前とそっくりらしいんじゃ」。声の主は所轄の副署長で、ワシの所在を確かめる電話をかけてきたのだった。
副署長の電話を切った途端、今度は捜査第一課の当直から呼び出しの電話があった。急いで署に駆けつけると、すでに刑事がぎょうさん集まっていた。副署長はワシの姿を見つけるなり駆け寄って来て、ワシの顔を両手でつかみ、捜査員にハッパをかけた。
「ハイみんな、注目っ! 犯人の顔はこの顔とそっくりや。この顔を参考にして犯人を捜してくれや~」
緊急配備が敷かれるなか、県下一円に無線で手配が飛んだ。
「え~逃走中の犯人は、捜査一課の秋山刑事顔。繰り返す。犯人は秋山顔!」
通常、こうした事件では被害者や目撃者の証言から犯人像の似顔絵を作成して捜査を進めるが、この事件では似顔絵も作成されず、「犯人は秋山顔」の一言で捜査が進んだ。
すると捜査線上にひとりの容疑者が浮かんだ。愛媛県出身の元ヤクザで、髪型から顔、洋服のセンスから歩き方まで本当にワシそっくりで、自分でも気持ちが悪いほどだった。
捜査の結果、この容疑者は逮捕されて、愛媛県内における殺人事件の余罪も見つかった。事件は一件落着となったが、緊急配備の無線で「秋山顔」を連呼された時の複雑な気持ちはいまでも忘れない。