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工藤流の子育て「わが家では、餃子も皮から手作り」

 かつては作詞するときは部屋でキャンドルを点すなど雰囲気づくりをしていたが、家庭を持ってからは、子供たちが家のなかを走り回ったり、テレビの音が聞こえたりするなかでも書けるようになったという(※7)。それでも、仕事や家事に追われながらも、一日の終わりには《お気に入りのキャンドルの香りの中でお茶を1杯だけ飲む》のがルーティンになっているとか(※1)。

 若い頃の尖ったイメージを思えば、いまの落ち着いた雰囲気には隔世の感がある。工藤自身も結婚して生活が決定的に変わったと折に触れて語っている。それはひとえに子供のためとの思いからだった。ただし、過保護にするのではなく、幼い頃から子供用包丁を持たせて料理を手伝わせるなど、何事も「経験させること」を大切にしてきたという。15年ほど前の次の発言からは、その真意がうかがえる。

中島みゆきの楽曲のカバーアルバム「青い炎」(2021年)

《私は子供たちに、たいていのものは自分で作れるってことを教えたかったの。だからわが家では、うどんは麺、餃子も皮から手作り。ものをクリエイトする発想があれば、挑戦が楽しくなる。壁にぶつかっても、別の道を見つけられるようになる気がするんですよね》(※5)

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 こうした子供たちとの接し方には、早くから自立心に目覚めた工藤の経験も反映されているのだろう。歌以外にも結婚前から絵を描くのが趣味で、二科展に連年入選し、2016年には会友推挙にも選ばれるなど、創造力を発揮してきた。クリエイトに向き合う姿勢はおそらく娘のCocomiとKōki,にも影響を与えているはずだ。先述のとおり彼女たちも芸能界入りし、子育ては一区切りついたといえる。母親の立場からはまだまだ心配なことも少なくないだろうが、工藤自身がこれから個人としてどんな道を歩んでいくかも興味深いところである。

※1 『an・an』2021年3月17日号
※2 『POTATO』1992年12月号
※3 『with』2005年4月号
※4 『クレア』2005年3月号
※5 『non-no』2006年10月5日号
※6 『コスモポリタン日本版』2000年11月号
※7 『Hanako』2007年2月27日号