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 大学卒業後は働きながら土日は試合に出て、20~30万お金が貯まったら休みをとって海外の大きい大会に挑戦するような日々でした。

 ただ、そんな生活がままならなくなるほど体調が悪化。仕事もバックギャモンも一時は辞めてしまったんですが、やっぱり世界一になりたくて、バックギャモンだけは継続して。

 がんがわかる直前の全日本大会では5分立っているのがやっと。ドクドクと大量の経血が流れているのを感じながら試合に参加していました。

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――闘病生活だけでも大変だったと思いますが、バックギャモンが回復の支えになったのでしょうか。

矢澤 2012年に子宮体がんが見つかった時には6つのリンパ転移があり、病期は「ステージIIIC」。5年生存率は50%で、医師から「手術しなければ1年持たない」と言われました。

©文藝春秋 撮影/山元茂樹

 病気になると、それまで出来ていた仕事や生活が急に制限されて、時間だけは莫大にできるじゃないですか。すると、何もしてない時間に、やっぱり病気のことを考えちゃうんですよね。

 考えれば考えるほどつらくなるというか、悪いこととかを考えてしまって。私自身、子どもを持つ未来が絶たれ、感情としてはこのまま手術も受けずに死にたかった。

 でも、自分が助かるかどうかなんて考えたところで分からない。仮に自分の残された時間というのがわずかだったとして、泣いて過ごしていても、好きなことをして過ごしていても同じように過ぎていくんだったら、楽しいことをしていたほうがいいんだろうなとも思っていて。

©文藝春秋 撮影/山元茂樹

 そうやって客観的にいろいろな展開を考えていったら、治療を受けた上で最終的にがんで死んでしまう最悪の展開だとしても、バックギャモンの世界チャンピオンになれたのなら一矢報いる最善手ではないかと思い至ったんです。

――バックギャモンで培った冷静な判断力が闘病でも活きたんですね。

矢澤 次の一手を考える時、ここに駒を配置すると何通りの道がひらけて、あっちだと何通りと、すべての可能性を比較して駒を進めていくんです。その時、直感でいいと思った手が、冷静に計算すると違うことはよくあって。

 自分の感情だけでなく、立ち止まって考えてみる大切さはバックギャモンで知っていたことでした。

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――抗がん剤を打ちながら臨んだ2014年の大会で世界チャンピオンになられたわけですが、今も後遺症などはあるのでしょうか。

矢澤 子宮体がんでステージIIICの私の場合、術後15年は通院を続けないといけないんです。今ちょうど折返し地点まできました。