日本人として、そして女性としてはじめて、2度のバックギャモン世界王者に輝いた矢澤亜希子さん。競技人口3億人、サイコロを振って15個のコマをゴールに向かわせるこの世界的ボードゲームにおいて、1度目の世界王者戦ではステージ3の子宮体がん治療中に勝利を手にをした「不屈の人」でもある。

 後編では、女性プレイヤーの少ない“男社会”での孤独な戦いについて聞いた。

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「賞の格が落ちた」「ホステスさんが来てるね」

――バックギャモンをはじめてわずか1年で日本タイトルを獲得。矢澤さんはすぐにトッププレイヤー入りされますが、子宮体がんによる体調悪化と同時に、男性プレイヤーからの強い風当たりもこたえたそうですね。

矢澤亜希子さん(以降、矢澤) 国内大会で女性初のタイトルを獲ったとき、関係者から「賞の格が落ちた」と言われました。「ホステスさんが来てるね」とからかわれたり、男性プレイヤーの恋人扱いされて選手と思われず受付で相手にされなかったこともあります。

「バックギャモン柄」のマスクをつけた矢澤亜希子さん ©文藝春秋 撮影/山元茂樹

――バックギャモンの世界は女性が少ないのでしょうか。

矢澤 バックギャモンは3億人の人が楽しむ世界的ゲームですが、プロの女性プレイヤーは私一人。選手が投票で選ぶトップ32人「バックギャモンジャイアンツ」には、私が2013年にランクインするまで女性は一人もいませんでした。

「やっぱり男の子がいいね。がっかり」の衝撃

――バックギャモンプレイヤーになる以前は、「男女差」を感じることはなかったですか。

矢澤 幼稚園の時、従兄弟と私を見比べた父が、「やっぱり男の子がいいね。がっかり」と言いました。それは今でも忘れられません。家は姉妹でした。

 家の跡継ぎとして「優秀なお婿さんをもらえ」とプレッシャーをかけられていた姉の一方、妹の私は良くも悪くも何も求められていないと感じていました。

――末っ子の女の子だからゆくゆくは嫁に行くだろう、ということですね。

矢澤 宿題をしていると祖母から「勉強ばかりしないで若い、楽しい時代は短いのだから遊びなさい」と言われました。

 女の子で、しかも末っ子。自分の意見が家の中で通ることはありませんでした。それが当たり前だと思っていたので、「この扉は開けちゃいけない」と言われたら絶対に扉に触れないような、言われたことを素直に受け止める子でした。