だが、子どもに自覚が芽生えるまで、辛抱強く待つ。それが、雅子さまと天皇陛下の子育ての流儀だったのだ。
愛子さまは、ご夫妻の期待通り、徐々に「自覚」を持つようになった。
皇居の門を車で出入りする時、皇族方はほぼ毎回、車の窓ガラスを下げ、手を振る沿道の人たちに会釈や笑顔を投げかけるのだが、いつの頃からか、愛子さまも笑顔で会釈されるようになった。
高校生になると、まるで別人のようだった。お父さまが天皇に即位されてまもない2019年夏。那須の御用邸に向かう那須塩原駅の駅頭で、愛子さまの「成長ぶり」を実感したことがある。ご一家は、すたすたと人波に歩み寄り、30分以上、会話を楽しんだ。健康的に日焼けした愛子さまには、地元の女性たちから「ずいぶん焼けましたねえ」と、声がかかった。
愛子さまはすぐさま、こう返した。
「そうなんです。でも(那須の御用邸の前に訪れた)須崎(御用邸)ではもっと焼けていて、もう、一皮むけちゃったんです」
どっと笑い声があがった。つられて両陛下も声をあげて笑った。
同世代の高校生と、夏休みの課題をまだ済ませていない、これから頑張らないと大変なことになる、という共通の話題でも盛り上がっていた。
獣医を断念した理由
年月を振り返ってみたい。
01年12月。愛子さまが生まれたのは天皇陛下が皇太子時代、雅子さまと結婚して8年後のことだった。
待ち望み、待ち望み、待ち望んだすえの、我が子だった。
02年4月、出産後の最初のお2人での記者会見で、雅子さまは、
「(出産後)初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子どもの姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」
と、涙を抑えながら話した。出産を体験した多くの女性が共感する言葉だろう。