日本国内における体外受精件数は年々増加している。2022年4月から始まった体外受精を含む不妊治療への保険適用により、その数はさらに増えていくだろう。
しかし、山王病院の名誉病院長であり、日本を代表する産婦人科医である堤治さんは、治療で妊娠できる可能性が拡がったことで「どこまで治療するか」の線引きが難しくなっていると指摘する。
ここでは堤さんの著書『妊娠の新しい教科書』より一部を抜粋。39歳から不妊治療を続け、自分で人生を選び取ったOさんの決断を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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10年にわたる不妊治療にけじめをつけた女性
これまで多くの不妊治療の患者さんをそばで見てきた私ですが、特に印象に残っている患者さんの一人が、Oさんです。彼女が初めて私の診療室を訪ねてこられたのは、2009年のこと。彼女は39歳で、子宮の病気を抱えながら不妊治療を始めてすでに5年ほどが経っていました。
「先生、とにかく全部調べてください。何ができて何ができないのか、全部教えてください」
彼女の言葉には切実な思いが込められていました。
そもそもOさんが、子宮に病気があることに気づいたのは27歳の時でした。もともと生理周期が不規則で、生理が始まると腹痛に悩まされ、出血量も多かったそうです。それでも元気だったため、多くの若い女性と同じく「みんなそんなものだろうな」と、あまり気にしていなかったのです。
ところが、仕事が忙しくなった20代後半に入った頃から腹痛や腰痛を繰り返すようになり、体調がいい日は1カ月の間に数えるほどに。見かねた知人から婦人科の受診を勧められ、生まれて初めて婦人科を受診したところ異変が見つかりました。