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29歳で「子供を産めなくなりますよ」と告げられて…30代後半から切実な想いで不妊治療を続けた“歌手”のOさんとは

『妊娠の新しい教科書』より #2

2022/04/20

source : 文春新書

genre : ライフ, ライフスタイル, 医療, 社会, 読書

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 子宮内膜症があり、子宮そのものも周囲の臓器を圧迫するほど腫れていることが判明したのです。担当医からは「あと2~3年で子宮を全摘しなければいけなくなるかもしれない。子どもを産めなくなりますよ」と告げられ、驚いたOさん。

 子宮内膜症の進行を止めるため、ホルモン療法をすぐに始めたものの、Oさんにはこれまでにない大きな仕事が目の前に控えていたため、治療を取るか仕事を取るか迷った末、仕事を選択したそうです。結婚も妊娠・出産もまだまだ先だと感じていた20代の彼女にとっては、それが自然な選択だったのでしょう。

 その後も子宮の病気は悪化の一途をたどり、相変わらず腹痛には苦しみ続けていたOさんでしたが、鎮痛剤や漢方薬を飲んだり、仕事と生理が重ならないよう、低用量ピルを飲んで調整したり、対症療法で乗り切っていたそうです。

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34歳で結婚、妊娠を考え始めたが…

 そんなOさんが現実的に妊娠・出産を考えるようになったのは、34歳を目前に結婚したときでした。相手の男性に子宮に病気があること、子どもは望めないかもしれないことを伝えたところ、それを受け止めた上で「数%でも可能性があるなら、一緒に頑張ろう」と励まされたそうです。そこから、二人三脚での不妊治療がスタートしたものの、なかなか妊娠しないということで、私を訪ねてこられたのです。

 山王病院での検査の結果、難治性の子宮腺筋症と子宮筋腫、さらに子宮内膜症を合併していることがわかりました。子宮が変形して内側の空間が狭くなってしまっていたため、なかなか妊娠ができなかったようでした。

 その際、Oさんに卵子はエイジングすること、女性の年齢が上がると妊娠できる可能性が低くなることをお話ししたのですが、「そんな話、初めて聞きました」と、かなり驚かれた様子でした。

 このままの子宮の状態では妊娠が難しいと考え、最初の2~3カ月は子宮を妊娠しやすい環境に整えるホルモン療法から始めました。胚移植はそれから始めました。

 ところが、子宮の状態が思った以上に悪化しており、仕事中に激痛に見舞われたり、ショッピングモールのエスカレーターでうずくまったりするようになりました。そこで、彼女は休業を決意。病気の治療と不妊治療に専念することを決心したのです。

 仕事に影響があるから、とひたすら避けてきた手術にも踏み切りました。その手術は、子宮腺筋症と子宮筋腫をできる限り切除し、変形してしまった子宮の形を整えるというものでしたが、復帰した後の仕事に影響が出ないように切開は最小限にとどめましょう、ということで腹腔鏡を使って行いました。