寂聴さんをぼけ扱い!?
97歳の寂聴先生はとても元気で、いつまでも死なないような、そんな生命力にあふれた人間のように見える。体力の衰えはあっても頭と口は以前と変わらず元気で、放っておいたらいつまでも一人で話している。
しかし、頭はしっかりしているとはいえ、物忘れなど、記憶力は少しずつ衰えてきている。97歳、当たり前だ。
私が伝えたことや、昨日食べたものを、覚えていないことがよくある。
「この梨おいしい! 誰も食べさせてくれないんだもの」。昨日も一昨日も食事に出したのに、そう言う先生に私たちスタッフは顔を見合わせ、「先生、昨日も食べたでしょう?」と言うと「いいや、初めて食べる!」と譲らない。
「それなら嫌というほど召し上がってもらいますからね」と私たちは、初めて食べたと言われないように毎日出し続ける。
「言った」「聞いてない」の言い合いも日常だ。そんな時、私は「先生……そろそろ……」と言って「本当にぼけてきたのかも」と一瞬深刻な顔をする。そして、すぐに2人で顔を見合わせて笑う。
「ぼける」ことや「物忘れ」も私たちは暗く考えず笑いに変える。何度も確認したのに「聞いていない!」と言い切られるとがっくりくることもあるけれど、年齢を考えると仕方のないことだ。
先生はよく取材や随筆で「秘書のまなほがぼけたと言ってくる」と反撃してくる。ユーモアたっぷりに書かれた随筆でも「寂聴さんをぼけ扱いするなんてあの秘書はけしからん」と真剣に怒ってくる読者もおられる。先生は大げさに書いているので、よりそう思わせてしまうに違いない。
「まなほのこと怒っていた人がいたね」と、先生はにやにやしながら言うけれど、私はもう気が気じゃない。「先生の影響力は大きいのですから、私が悪者になるようなこと書かないでくださいね」と言うと、うれしそうに笑っている。
その顔を見ると、こっちも怒る気がうせ一緒に笑ってしまう。そんな毎日だ。(2019年10月)