2021年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第4位は、こちら!(初公開日 2021年12月22日)

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 今年決着を見た、小室圭さんと眞子さんの結婚問題。さまざまな報道がなされる中、2人はアメリカで新生活を始めることになった。しかし、「皇室」という特殊な世界から一歩踏み出して始まる、新しい街での生活。大きな「ギャップ」に、眞子さんの苦労を心配する声も上がっている。

10月26日、会見を行った小室さん(右)と眞子さん ©JMPA

 こうした「ギャップ」を、その人生を通して乗り越え続けたのが、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜の孫・井手久美子さんだ。2018年には人生を振り返る『徳川おてんば姫』(東京キララ社)を出版。そこでは、まさに深窓の姫として育った幼少期から、戦後の「街医者の現場」での活躍まで、懸命に生き抜いた彼女の生き様が綴られている。

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 彼女の人生から、新天地に挑む人たちは何を学べるのか。同書の編集にも大きく関わり、久美子さんの子で徳川慶喜のひ孫である井手純さんに、話を聞いた。

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「徳川久美子」として生まれた母、最初の結婚相手は…

――井手純さんは、徳川慶喜のひ孫でいらっしゃいます。お母様の久美子さんは、慶喜家を継いだ慶久の4女。5人きょうだいの末っ子で、次姉は昭和天皇の弟君・高松宮に嫁がれた喜久子妃という家系ですね。

井手 喜久子妃殿下は慶喜に抱かれた写真が残っていますが、母が生まれた大正11年には慶喜は亡くなっていました。

井手純さん ©文藝春秋

 母は女子学習院を卒業して、19歳で結婚しました。お相手は、幕末の福井藩主・松平春嶽から数えて5代目に当たる、松平康愛さんです。慶喜家は公爵で、松平家はひとつ下の侯爵です。

 海軍少尉として出征した康愛さんがフィリピンで戦死したため、康愛さんの親友で医師の井手次郎と昭和22年に再婚します。そして昭和25年に、私が生まれたわけです。

敷地3400坪!大豪邸の世界

――久美子さんの著書『徳川おてんば姫』(東京キララ社)に、慶喜邸の昭和初期の見取り図が載っています。敷地が3400坪で、建物だけで1300坪。住み込みの使用人が50人。すごいですね。

井手 「小石川区小日向第六天町」という町名から、お屋敷は「第六天」と呼ばれていました。現在の地名で言うと、文京区春日二丁目です。戦火は免れましたが、戦後に華族制度が廃止されたために莫大な財産税を課せられ、国に物納されました。現在は、国際仏教学大学院大学のキャンパスになっています。