1ページ目から読む
2/4ページ目
西に向かう列車に、行き先も分からずに乗り込む
戦争が始まって5日目の2月28日、隣家にミサイルが落ちた。翌日には、人々の集いの場だった、美しい市内の目抜き通りにもミサイルが落とされた。「わたしたちの家、わたしたちの庭、わたしたちの街は軍隊の射撃場になってしまった」(同前)。
戦争が始まって8日目の夜、グレベニクさんは「こどもたちのために」街から離れることを決意する。翌日、なんとか手配できたタクシーから今から10分後に外にでてくれと告げられる。わずか10分。両親を残しては行けないという母親に、一緒に逃げるよう説得することはできなかった。
夫とこどもたち、犬と一緒に、西に向かう列車に行き先も分からないまま乗り込んだ。列車はリヴィウ行きだった。
夫が同行できたのはここまで。ウクライナでは戒厳令や総動員令が発令され、18歳から60歳までの男性は徴兵の対象となり、国外に出ることは認められていなかったためだ。